はじめに|なぜ「いただきます」「ごちそうさま」を言うのか
食事の前に「いただきます」、食事の後に「ごちそうさま」。
私たち日本人にとって当たり前のように口にするこの言葉には、感謝・命・つながりという深い意味が込められています。
毎日の食卓で自然と使われているこの二つのあいさつは、単なるマナーではなく、“命をいただいて生きている”という考え方を表した日本独自の文化です。
忙しい日常の中でも、食事の前後にこの言葉を添えることで、心を落ち着け、感謝の気持ちを思い出すことができます。
日本の食卓に欠かせない“あいさつの言葉”
「いただきます」と「ごちそうさま」は、日本の家庭の食卓で代々受け継がれてきた“食のあいさつ”です。
食事の始まりと終わりに必ず言葉を交わすこの習慣は、食べ物を大切にする心と人とのつながりを意識する文化の表れでもあります。
また、これらの言葉には、単に「食べる前」「食べ終わった後」という区切りの意味だけでなく、
- 食材を育ててくれた人
- 料理を作ってくれた人
- 自然や命への感謝
など、さまざまな存在への“ありがとう”を伝える意味が含まれています。
家族で「いただきます」「ごちそうさま」を声に出すことで、
食卓が単なる“食事の場”から、“心がつながる時間”に変わっていくのです。
無意識に言っているけれど、実は深い意味がある
毎日当たり前のように言っている「いただきます」と「ごちそうさま」ですが、
その背景には、日本人の“命への敬意”と“感謝の哲学”が息づいています。
たとえば「いただきます」は、食材となった動植物の命を「いただく」という意味。
「ごちそうさま」は、食事を準備するために“走り回ってもてなしてくれた”ことへの感謝を表します。
つまり、どちらの言葉も“誰か”や“何か”への敬意と感謝を表す言葉であり、
ただのあいさつではなく、命の循環を意識する行為そのものなのです。
普段は何気なく口にしている言葉も、その意味を知ることで、
食事の時間がもっと豊かで温かいものに感じられるでしょう。
「いただきます」の意味と由来

日本の食卓で最もよく使われるあいさつのひとつ、「いただきます」。
この言葉は単に“食事を始めます”という合図ではなく、命・感謝・謙虚さが込められた日本独自の精神文化を映しています。
その背景には、言葉の意味の変遷や、仏教に由来する思想が深く関係しています。
「いただく」は“命をいただく”という意味
「いただきます」という言葉の根本には、“命をいただく”という考え方があります。
私たちが食べているのは、野菜・魚・肉など、もともとは生きていた存在。
それらの命を取り入れることで、自分の命をつないでいる──この循環を意識するのが「いただきます」です。
つまり「いただきます」とは、
「あなたの命をいただいて、自分が生きる力に変えます」
という感謝と敬意の言葉なのです。
この“命への感謝”という価値観は、世界の中でも日本特有のもの。
日々の食卓で自然に使われている一言に、深い倫理観と生命観が込められています。
仏教の教えがもとになった「感謝と謙虚さ」の言葉
「いただきます」は、仏教の教えから生まれた言葉でもあります。
仏教では、食事をするときに“五観の偈(ごかんのげ)”という考え方を唱える風習がありました。
そこでは、
- 食べ物がここに届くまでの多くの人々の労力を思う
- 自分がそれにふさわしい行いをしているかを考える
- 命をいただくことに感謝する
といった感謝と謙虚さの精神が重視されています。
この思想が、のちに日常のあいさつ「いただきます」として定着しました。
つまり、「いただきます」という一言には、
“食材・人・自然・命すべてに対して手を合わせる気持ち”が込められているのです。
昔は“目上の人から物をもらう”時に使っていた
「いただきます」の語源をたどると、もともとは「いただく(頂く)」という謙譲語に由来します。
「いただく」とは、目上の人から何かを受け取るときに使う敬意の表現で、
「頭の上にのせて受け取る(頂く)」という意味を持っています。
昔の日本では、贈り物や食べ物をもらう際、
「ありがたくいただきます」と言って、相手への敬意や感謝を示していました。
この習慣が広まり、やがて「食べ物=自然や他者から授かるもの」という考え方と結びつき、
食事の前のあいさつとして定着したのです。
つまり、「いただきます」はもともと、
“目上の存在(人・自然・命)から恵みを受け取る”
という謙虚な気持ちの表現なのです。
現代では、食事の前に何気なく言う「いただきます」ですが、
そこには命への感謝・人への敬意・自然への祈りがすべて込められています。
この言葉の意味を理解することで、食卓の時間がより丁寧で豊かなものに感じられるでしょう。
「ごちそうさま」の意味と由来

食事を終えたあとに口にする「ごちそうさま」。
この言葉には、料理を作ってくれた人への感謝はもちろん、食材を届けてくれた人・自然への敬意まで込められています。
「ごちそうさま」は、単なる「おいしかった」という感想ではなく、多くの努力や思いやりに対する感謝の言葉なのです。
「ご馳走(ちそう)」とは“走り回ってもてなす”という意味
「ごちそう(御馳走)」という言葉は、もともと「馳走(ちそう)」──つまり、“走り回ること”を意味していました。
昔の日本では、食材を集めるために馬を走らせ、遠くまで出向いて旬のものを取り寄せることがもてなしの基本でした。
そのため「馳走」とは、
「お客様を喜ばせるために、あちこち走り回って尽くすこと」
を表す言葉だったのです。
そこに丁寧語の「御(ご)」をつけた「ご馳走」は、
“心を込めて準備された食事”や“もてなしの料理”を意味するようになりました。
つまり「ごちそうさま」とは、
「走り回って準備してくれたことへのお礼」
を伝える言葉なのです。
料理を作ってくれた人への感謝の気持ち
現代では「ごちそうさま」は、料理を作ってくれた人への感謝を表す言葉として定着しています。
家族が作ってくれたごはん、飲食店の料理人が腕をふるった一品──どんな食卓にも、誰かの時間と手間が込められています。
「ごちそうさま」と言うことで、
「おいしかったです。作ってくれてありがとう」
という気持ちを自然に伝えることができます。
この一言を添えるだけで、作り手の努力や思いやりをきちんと受け取ることができ、
食卓がより温かく、心の通った時間になります。
また、家庭では子どもが「ごちそうさま」を言うことで、感謝の心やマナーを学ぶきっかけにもなります。
“食材を運んでくれた人”にも感謝を伝える言葉
「ごちそうさま」は、目の前の料理を作った人だけでなく、
その料理ができるまでに関わったすべての人への感謝を表す言葉でもあります。
たとえば、
- 食材を育てた農家や漁師さん
- 材料を運んだ物流・販売の人たち
- 自然の恵み(太陽・水・土など)
これらすべての存在が、私たちの食卓を支えています。
「ごちそうさま」という一言には、そうした人々や自然への広い感謝の気持ちが込められているのです。
つまり、「ごちそうさま」は、
“目に見えないたくさんの努力と恵みへのありがとう”
をまとめて伝える日本語ならではの美しいあいさつなのです。
「ごちそうさま」は、食事を締めくくる言葉でありながら、
その一言には思いやり・敬意・感謝の連鎖が生まれます。
何気ない日常のあいさつの中にこそ、日本人の“心の豊かさ”が息づいているのです。
「いただきます」と「ごちそうさま」に込められた“感謝”の対象

「いただきます」と「ごちそうさま」は、どちらも感謝の言葉ですが、
実はその感謝の対象は一つではありません。
私たちが食事をするまでには、命・人・自然の力が複雑に関わっています。
それぞれの言葉には、そのすべてに向けた“ありがとう”の気持ちが込められているのです。
食材の“命”への感謝
まず、食事の根本にあるのが「命をいただく」という意識です。
肉・魚・野菜──どんな食材も、もとは生きていた存在です。
その命を自分の体に取り入れることで、私たちは生き続けることができます。
「いただきます」という言葉には、
「あなたの命をいただきます」
という深い意味が込められています。
また、「ごちそうさま」は、食べ終わったあとに
「あなたの命を無駄にせず、おいしくいただきました」
という命への敬意を伝える言葉でもあります。
命をいただいて生きている──この感覚を持つことが、
食を大切にし、食べ残しを減らす心にもつながっていくのです。
料理を作ってくれた人への感謝
次に、「いただきます」「ごちそうさま」には、食事を用意してくれた人への感謝の意味もあります。
家族の誰かが台所に立ってくれたこと、レストランで料理人が心を込めて作ってくれたこと──
その労力や思いやりを受け取るのが、この二つの言葉です。
「いただきます」は、
「作ってくれてありがとう、これからおいしくいただきます」
という前向きな感謝。
「ごちそうさま」は、
「おいしかったです。準備や後片づけまで、ありがとう」
という労いと感謝の気持ち。
食卓で「ごちそうさま」と言うだけで、作り手の努力が報われ、
家族のコミュニケーションや絆を深めるきっかけにもなります。
食卓を支えるすべての人・自然への感謝
そして最後に、忘れてはならないのが、食を支えるすべての人・自然への感謝です。
食材は、農家や漁師、運送業者、販売員など、
たくさんの人の手を経て私たちのもとに届きます。
さらに、その背景には、太陽・水・土・風などの自然の恵みがあります。
「いただきます」「ごちそうさま」は、
そうした目に見えない多くの存在に向けた“広い感謝の言葉”なのです。
たとえば、
「この一皿がここにあるのは、たくさんの人と自然のおかげ」
と意識するだけで、食事のありがたみや幸福感はぐっと深まります。
この考え方は、日本文化における“もったいない”精神や“自然と共に生きる”感性にも通じています。
「いただきます」と「ごちそうさま」は、
食材の命・作り手の心・自然の恵み──すべてに感謝を伝える日本語の美しい言葉です。
その意味を理解して使うことで、日々の食卓が“感謝を感じる時間”に変わります。
世界の「食事のあいさつ」との違い

「いただきます」と「ごちそうさま」は、日本人にとって当たり前の食事のあいさつですが、
世界を見渡すと、同じような表現を使う国はほとんどありません。
多くの国でも食事の前後に言葉を交わす習慣はありますが、
その意味や背景にはそれぞれの文化・宗教・価値観が反映されています。
ここでは、海外の代表的なあいさつと比較しながら、
日本ならではの“食への感謝の心”を見つめてみましょう。
英語の“Let’s eat!”や“Bon appétit!”との意味の違い
英語圏では、食事の前に“Let’s eat!”(さあ、食べよう!)や“Bon appétit!”(ボナペティ/食欲をそそるひとときを!)などの言葉が使われます。
これらは、食事を始める合図や相手への気遣いを表すフレーズであり、
「おいしく食べよう」「楽しい時間を過ごそう」という意味合いが中心です。
一方で、「いただきます」はそれとは異なり、
「命をいただいて、生かされていることに感謝します」
という宗教的・哲学的な意味合いを含んでいます。
つまり、“Let’s eat!”が「行動のスタートの合図」なら、
「いただきます」は「感謝と敬意の表明」です。
同じ食事の始まりの言葉でも、
「誰に向けた言葉か」「どんな気持ちを込めているか」という点で大きな違いがあるのです。
日本独自の“命への感謝”という文化的特徴
日本の「いただきます」「ごちそうさま」が特に特徴的なのは、
その根底にあるのが“命への感謝”という思想であることです。
海外では、食事の前に神に祈りを捧げる文化(キリスト教の“Grace before meals”など)が多く見られます。
一方、日本では特定の神ではなく、
自然・命・人すべてに対して手を合わせるという形で感謝を表します。
これは、古くから日本人が持っていた“自然と共に生きる”という精神文化や、
仏教の「命はつながっている」という考え方の影響を受けています。
つまり、日本の「いただきます」は、
神への祈りではなく、命そのものへの祈り。
宗教を超えて、生きることへの敬意を言葉にした、非常に独自の文化なのです。
宗教・習慣の違いから見える“食”の価値観
世界のあいさつを比較してみると、
その国ごとに“食をどうとらえるか”という価値観の違いが見えてきます。
たとえば、
- キリスト教圏では、「食事は神の恵み」 → 祈りを捧げる
- イスラム教圏では、「アッラーに感謝」 → 清めと感謝の儀式
- 仏教文化圏(日本)では、「命と自然に感謝」 → 手を合わせる
このように、どの国も“感謝”を表しますが、
日本では**「誰か特定の存在」ではなく「すべての命」**に感謝するのが特徴です。
「いただきます」「ごちそうさま」は、宗教や立場に関係なく、
誰もが自然に感謝の心を表せる“言葉の文化”なのです。
「Let’s eat!」や「Bon appétit!」のように軽やかな言葉もすてきですが、
「いただきます」「ごちそうさま」には、
命の重み・自然の恵み・人のつながりがすべて込められています。
この言葉を意識して使うことで、
食卓の時間がただの“食事”ではなく、感謝を感じるひとときに変わるのです。
子どもに教えたい「いただきます」「ごちそうさま」の大切さ

食事のあいさつは、単なる“マナー”ではなく、人としての思いやりや感謝の心を育てる大切な行動です。特に子どもにとって、「いただきます」「ごちそうさま」は“命の尊さ”や“人のぬくもり”を感じる学びの第一歩になります。家庭での何気ないあいさつが、子どもの心に感謝の習慣を根づかせるきっかけになるのです。
しつけとしての“食のあいさつ”の意味
「いただきます」「ごちそうさま」を言うことは、礼儀としてだけでなく、“命をいただいて生きている”という実感を持つための教育でもあります。
たとえば、野菜や魚、お米もすべて“生きていたもの”であり、私たちはそれらの命の恵みで生かされています。
食事のたびにこの言葉を口にすることで、子どもは自然と「食べ物を粗末にしない心」や「感謝の気持ち」を学ぶことができるのです。
家庭でできる“感謝を育む”食卓習慣
感謝の心を育てるには、「なぜこの言葉を言うのか」を親子で共有することが大切です。
たとえば、
- 食事の前に「この野菜、誰が作ってくれたのかな?」と話す
- 食後に「今日のごはんおいしかったね」と感想を伝える
といった小さな声かけでも、子どもは“食の背景”を感じ取ります。
感謝の対象を“目に見える人”に広げていくことで、言葉の重みを自然に理解していけるようになります。
“形式だけ”で終わらせないための声かけ例
形だけの「いただきます」や「ごちそうさま」では、やがて“意味のないルール”になってしまいます。
そんな時は、親が少し工夫した声かけをしてみましょう。
💬 たとえば…
- 「今日もおいしいごはんをありがとう!」
- 「この魚、遠くの海から来たんだね」
- 「みんなで食べると、もっとおいしいね」
こうした一言が、あいさつに“心”を取り戻すきっかけになります。
親の背中を通して、子どもは“感謝を伝えることの温かさ”を自然と学んでいくのです。
まとめ|「言葉ひとつ」で食事がもっと温かくなる

私たちが毎日何気なく口にしている「いただきます」と「ごちそうさま」。
それは、単なる“食事の始まりと終わりの合図”ではなく、命・人・自然への感謝を伝える日本ならではの美しい文化です。
この言葉を丁寧に口にするだけで、食卓の空気はやさしく、温かくなります。
忙しい日常の中でも、“ひとことの思いやり”が、家族や自分の心を豊かにしてくれるのです。
「いただきます」と「ごちそうさま」は“命のリレー”を意識する言葉
「いただきます」は、食材の“命”を自分の体に取り込む瞬間の言葉。
「ごちそうさま」は、それを支えてくれた人や自然に“感謝を返す”言葉です。
この二つの言葉の間には、命がめぐり、つながっていくリレーのような意味が込められています。
たとえば、お米ひと粒の背後には、農家の人の手間、太陽や雨の恵み、自然の循環があります。
そのすべてが“ごちそう”であり、私たちはその恵みを「いただいて」生きているのです。
この意識を持つことで、食事は“当たり前”ではなく“感謝の時間”へと変わります。
毎日の食事に“ありがとう”の心を添えよう
「言葉ひとつ」で、食事の時間は驚くほど温かくなります。
食べ物に「ありがとう」、作ってくれた人に「ありがとう」、今日も無事に食卓を囲めることに「ありがとう」。
この小さな感謝を口にする習慣が、心を整え、暮らしを豊かにしていくのです。
もし家族や友人と一緒に食卓を囲むなら、少しだけ目を合わせて「いただきます」と言ってみてください。
その一瞬が、“食べること”の喜びを実感する温かな時間に変わるはずです。
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