ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)
1623年6月19日〜1662年8月19日(39歳)
フランス王国クレルモン=フェラン出身。
国籍=フランス。
哲学者、物理学者、思想家、数学者。
フランスの哲学者、物理学者、数学者、キリスト教神学者。パスカルの三角形、パスカルの定理などの発見でも知られる。
名言=「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。」
『パスカル』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発しているパスカルさん。
その中でも『パスカル』の名言をご紹介していきます。
人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。
しかし、それは考える葦である。
我々が本当に愛するのは、人間そのものではなくて、人間のもっている特性ということになるのである。
好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
時は悲しみと口論の傷を癒す。
人はみな変わる。
過去の自分はもはや現在の自分ではない。
悩む者も悩ます者も、時がたてば別人になる。
生涯において最も大切なことは職業の選択である。
しかし、偶然によってそれは決まる。
人間はつねに、自分に理解できない事柄は何でも否定したがるものである。
想像力は何でもやってのける。
それは美と正義と幸福をつくるが、これこそ、この世におけるすべてなのだ。
人間は神と悪魔の間に浮遊する。
人は恋愛を語ることによって恋愛するようになる。
真の雄弁は雄弁を軽蔑し、真の道徳は道徳を軽蔑する。
哲学を軽蔑することこそ、真に哲学することである。
真理が支配しているときに平和を乱すことがひとつの犯罪であると同様に、真理が破壊されようとしているときに平和にとどまることも、やはり、ひとつの犯罪である。
力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制である。
人間は考えるために生まれている。
ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
恋愛に年齢はない。
それはいつでも生まれる。
人間の悪事はすべて、部屋の中でじっとしていられないことに由来する。
偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高く出ているだけのことで、足のほうは我々と同じくらい低いところにある。
人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。
自分自身においても、また他人に対しても。
美と呼ばれるものは、しばしば流行と地域で決められる。
習慣は第二の自然だといわれているが、人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
美貌のためにある女を愛する人は、その女をいつまでも愛するであろうか?
否である。
圧制は、自己の秩序を超えて全般を支配しようとするところに存する。
もしもすべての人が、互いに何を語り合っているかを知ったならば、この世に友は4人といないであろう。
空想は感情に似ているが、感情とは反対のものである。
世論はいわば世界の女王であるが、力は世界の暴君である。
無知をおそれてはいけない。
偽りの知識を恐れよ。
クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう。
恐れる者は恐れることなかれ。
だが恐れぬ者は恐れよ。
進歩によって完成することは、すべて進歩によって滅びる。
感覚は、偽りの見せかけで理性をたぶらかす。
神を感じるのは心情であって、理性ではない。
信仰とは、そのようなものである。
神が存在するということは不可解であり、神が存在しないということも不可解である。
情念は過度でなければ美しくありえない。
ひとは愛しすぎないことには十分に愛していないのだ。
雄弁も長たらしくなると退屈する。
徳の高さは、人が何か特別に頑張った時に判断すべきではない。
日頃の行いで判断すべきである。
人は宗教的確信に促されて行うときほど、完全に、また喜んで悪事を働くことはない。
戦いほど面白いものはない。
だが、勝利はそれほどでもない。
哲学を嘲笑するものこそ、真に哲学者である。
人からよく思われたいのなら、自分のことをほめるな。
何ゆえに人は多数に従うか。
彼らがいっそう多くの道理を持っているからか。
否、いっそう多くの力を持っているからである。
ささいなことが私たちの慰めになるのは、ささいなことが私たちの苦しみになるからである。
心には理性で分からない理由がある。
人々は美徳の点ではそんなに差異はなく、悪徳の点でのみ差異がある。
お前は主人から可愛がられ、おだてられたからといって、それだけで奴隷でなくなると思うのか?
奴隷よ、お前は実におめでたい。
お前の主人はお前をおだてているが、いまにお前を打つであろう。
もし、友人が陰でしゃべっていることをお互いに知ったら、友情はほとんど保たれない。
人間にとって苦悩に負けることは恥ではない。
快楽に負けることこそ恥である。
この無限空間の永遠の静けさが、私をぞっとさせる。
知識は悲しみである。
多くを知る者は、怖ろしき真実を深く嘆かざるを得ない。
知識の木は生命の木ではないから。
実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。
絵とはなんとむなしいものだろう。
我々は理性によってのみではなく、心によって真実を知る。
隠れた高潔な行いは、最も尊敬されるべき行為である。
人間の偉大さは、考える力にある。
危険な行き過ぎが二つある。
理性をただちに否定することと、理性の他は何も認めないことだ。
親切な言葉に費用はかからない。
しかし、多くのことを成し遂げる。
人間には二種類しかない。
一つは自分を罪人だと思っている善人であり、他の一つは、自分を善人だと思っている罪人である。
知性が増すにつれ、人それぞれの個性をより多く見出すようになる。
凡人は人それぞれの違いがわからない。
無神論は精神の強さを示す。
しかし、一定程度までである。
己はこの世のすべてである。
恥は一つしかない。
すなわち、なんの恥も感じないということだ。
習慣は、それが習慣であるからこそ従われるべきで、それが合理的であるとか、正しいということから従われるべきではない。
知恵は知識にまさる。