坂本龍馬(さかもと りょうま)
1836年1月3日〜1867年12月10日(31歳)
土佐国土佐郡上街本町一丁目(現在の高知県高知市上町一丁目)出身。
国籍=日本。
土佐藩郷士、幕末の志士。
土佐藩から脱藩後は志士として活動し、倒幕、明治維新に大きな影響を与えた。
名言=「世界の海援隊でもやりますかな」
『坂本龍馬』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発している坂本龍馬さん。
その中でも『坂本龍馬』の名言をご紹介していきます。
日本を今一度
せんたくいたし申候
世の人は我を何とも言わば言え
我が成す事は我のみぞ知る
義理などは夢にも思ふことなかれ
身をしばらるるものなり
事は十中八九まで自らこれを行い
残り一、二を他に譲りて功をなさむべし
恥といふことを打ち捨てて
世のことは成るべし
何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり
時勢に応じて自分を変革しろ
われ、はじめて西郷を見る。
その人物、茫漠としてとらえどころなし。
ちょうど大鐘のごとし。
小さく叩けば小さく鳴り。
大きく叩けば大きく鳴る。
感涙とどめず、遥か江戸の地より拝し、龍馬かならずこの恩に報うべし、と天地神明に誓ふ。
※ 父が亡くなった時に詠んだとされる句
文(ふみ)開く衣の袖は濡れにけり
海より深き君が美心(まごころ)
世界の海援隊でもやりますかな
丸くとも
一かどあれや人心
あまりまろきは
ころびやすきぞ
俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。
人の世に道は一つということはない。
道は百も千も万もある。
万事、見にゃわからん。
俺は着実に物事を一つずつ築きあげてゆく。
現実に合わぬことはやらぬ。
偏見を持つな。
相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。
奇策とは百に一つも用うべきではない。
九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。
奇策とはそういう種類のものである。
人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。
男子は生あるかぎり、理想をもち、理想に一歩でも近づくべく坂をのぼるべきである。
夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。
人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。
芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。
なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。
他人が舞台を作ってくれやせぬ。
金よりも大事なものに評判というものがある。
世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。
金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。
慎重もええが、思いきったところがなきゃいかん。
慎重は下僚の美徳じゃ。
大胆は大将の美徳じゃ。
わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。
そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。
人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。
おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ。
人間、好きな道によって世界を切り拓いていく。
疲れちょると思案がどうしても滅入る。
よう寝足ると猛然と自信がわく。
時勢は利によって動くものだ。
議論によっては動かぬ。
世の既成概念を破るというのが、真の仕事である。
人間、不人気では何も出来ませんな。
いかに正義を行なおうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなります。
人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ。
古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使いわけのうまい男をいうのだ。
何でも思い切ってやってみることですよ。
どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。
事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ。
暗ければ、民はついて来ぬ。
今は力を培養するときだ。
その時機を辛抱できぬのは男ではない。
相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。
結局は恨まれるだけで物事が成就できない。
いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。
たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。
雨が降ってきたからって走ることはない。
走ったって、先も雨だ。