本田宗一郎(ほんだ そういちろう)
1906年11月17日〜1991年8月5日(84歳)
静岡県磐田郡光明村(現在の浜松市天竜区)出身。
国籍=日本。
実業家、技術者。ホンダの創業者。
ホンダを世界的な大企業に育て上げ、アジア人初の米国の自動車殿堂入りを果たした。
名言=「失敗が人間を成長させると、私は考えている。失敗のない人なんて、本当に気の毒に思う。」
『本田宗一郎』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発している本田宗一郎さん。
その中でも『本田宗一郎』の名言をご紹介していきます。
苦しい時もある。
夜眠れぬこともあるだろう。
どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。
私自身、その繰り返しだった。
思想さえしっかりしていれば技術開発そのものはそう難しいものではない。
技術はあくまでも末端のことであり、思想こそが技術を生む母体だ。
私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。
それが哲学だ。
自分の力の足りなさを自覚し、知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である。
失敗が人間を成長させると、私は考えている。
失敗のない人なんて、本当に気の毒に思う。
社長なんて偉くも何ともない。
課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。
要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。
伸びる時には必ず抵抗がある。
新しいことをやれば、必ず、しくじる。
腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を削って、何度も何度もやる。
進歩とは反省の厳しさに正比例する。
人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。
その代わり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。
自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。
人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。
いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。
成功は99%の失敗に支えられた1%だ。
成功者は、例え不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら、必ず成功すると考えている。
そして、最後まで諦めなかった人間が成功しているのである。
創意工夫、独立独歩、これをつらぬくにはたゆまぬ努力がいるし、同時に、ひとりよがりに陥らぬための、しっかりした哲学が必要となる。
独創的な新製品をつくるヒントを得ようとしたら、市場調査の効力はゼロとなる。
大衆の知恵は決して創意などはもっていないのである。
大衆は作家ではなく、批評家なのである。
日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。
どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。
発明はすべて、苦しまぎれの智恵だ。
アイデアは、苦しんでいる人のみに与えられている特典である。
悲しみも、喜びも、感動も、落胆もつねに素直に味わうことが大事だ。
模倣、依頼、同調といった精神は、今ではどのような価値も生まないだけではなく、人々を根底から破壊する役割さえ果たしている。
勇気というのは強いからとか、勇ましいから勇気があるというのではない。
たとえ、自分にとってどんなに不利な結果になろうとも、自分が真実であり、妥当であると考えたことを認め、それに賛成することこそが勇気である。
もったいないようだけど、捨てることが、一番巧妙な方法だね。
捨てることを惜しんでいるヤツは、いつまでたってもできないね。
我々は、最初から苦しむ方向をとったから、あとは楽になった。
真似をして楽をしたものは、その後に苦しむことになる。
会社の為に働くな。
自分が犠牲になるつもりで勤めたり、物を作ったりする人間がいるはずない。
だから、会社の為などと言わず、自分の為に働け。
間違った先見力は、人の考えを誤らせ、道を閉ざす原因となる。
私の現在が成功というなら、私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることにある。
仕事は全部失敗の連続である。
私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。
失敗と成功は裏腹になっている。
みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない。
需要がそこにあるのではない。
我々が需要を作り出すのだ。
新しい発想を得ようと思うならまず誰かに話を聞け。
一度、真似をすると、永久に真似をしてゆくのである。
創業当時、私が「世界的視野に立ってものを考えよう」と言ったら噴き出した奴がいた。
僕は創業時からいつも世界を市場と考える思想を持っていた。
日本人はチマチマ小さくまとまらずにもっと大きくなれと言いたい。
耐える心に、新たな力が湧くものだ。
全てそれからである。
心機一転、やり直せばよいのである。
長い人生の中で、そのための一年や二年の遅れは、モノの数ではない。
竹にはフシがある。
そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ。
企業にもフシがある。
儲かっている時はスムーズに伸びていくが、儲からん時がひとつのフシになる。
このフシの時期が大切なのだ。
私はフシのない企業は、どうも不安で見ていられないような気がする。
人生でも、企業でも、一度貧乏とか不況とかを立派にくぐり抜いてきたものなら、そいつはどこまでも信用できる。
開拓精神によって自ら新しい世界に挑み、失敗・反省・勇気という三つの道具を繰り返して使うことによってのみ、最後の成功という結果に達することができると私は信じています。
嫌いなことを無理してやったって仕方がないだろう。
私は不得手なことは一切やらず、得意なことだけをやるようにしている。
長というのは組織上の役割を示すためのものであって、決してその人物の偉さを表すものではない。
私は怒っても、その人間を憎むことはしない。
偽りのない気持ちを相手にぶつけることが大切。
とかく他人にきびしく、自分自身に寛大なのは凡人の常だ。
技術の競争は、あくまでも技術をもってすべきである。
決断に必要なのは、誰でもうなずける科学的な根拠である。
私は自分と同じ性格の人間とは組まないという信念を持っていた。
人間というものは、面白いものであり、不思議なものであり、必要のない人間というのはいないのである。
人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。
他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。
そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか。
世間では、大人の言いなりになる子や、大人の考えの枠から飛躍しようとしない子が「いい子」であり、自分の意思を堂々と主張したり、個性的な考え方や行動をする子を「悪い子」というレッテルををはりがちである。
けれども私は逆だ。
世間でいう「悪い子」に期待している。
なぜならそういう子供こそ個性にあふれ、可能性に満ちた本当の意味の「いい子」だからである。
大いなる若気の至りが個性の芽を育てる。
友情は、人間感情の中で最も洗練された、そして純粋な美しいものの一つだと思う。
友情を交わす友人のいることは、その人の人生にとって非常に大きなプラスである。
時間だけは神様が平等に与えて下さった。
これをいかに有効に使うかはその人の才覚であって、うまく利用した人がこの世の中の成功者なんだ。
学問なり技術があるということは立派なことにはちがいないが、それを人間のために有効に使って初めて、すぐれた人間だということができるのだと思う。
何よりも大切なのは人を愛する心ではないだろうか。
少しでも興味を持ったこと、やってみたいと思ったことは、結果はともあれ手をつけてみよう。
幸福の芽は、そこから芽生え始める。
飛行機は飛び立つときより着地が難しい。
人生も同じだよ。
夫婦とは、多種多様の秘密を共有する人間関係である。
実を言うと、社長をやっていた時は金儲けが財産だと思っていたけど、結局、友達こそ本当の財産だなあ。