武田信玄(たけだ しんげん)
1521年12月1日〜1573年5月13日(51歳)
甲斐国要害山城(現在の山梨県甲府市上積翠寺町)出身。
国籍=日本。
武将、甲斐の守護大名・戦国大名。
天下一の軍団として怖れられた武田軍を率いた。
名言=「もう一押しこそ慎重になれ。」
『武田信玄』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発している武田信玄さん。
その中でも『武田信玄』の名言をご紹介していきます。
武将が陥りやすい三大失観。
一、分別あるものを悪人と見ること
一、遠慮あるものを臆病と見ること
一、軽躁なるものを勇剛と見ること
負けまじき軍に負け、亡ぶまじき家の亡ぶるを、人みな天命と言う。
それがしに於いては天命とは思はず、みな仕様の悪しきが故と思うなり。
渋柿は渋柿として使え。
継木をして甘くすることなど小細工である。
信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ。
人間にとって学問は、木の枝に繁る葉と同じだ。
戦いは四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。
ただし二十歳前後は、自分より小身の敵に対して、負けなければよい。
勝ちすぎてはならない。
将来を第一に考えて、気長に対処することが肝要である。
自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。
この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ。
一日ひとつずつの教訓を聞いていったとしても、ひと月で三十か条になるのだ。
これを一年にすれば、三百六十か条ものことを知ることになるのではないか。
もう一押しこそ慎重になれ。
いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとしである。
人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない。
晴信(信玄)が定めや法度以下において、違反しているようなことがあったなれば、身分の高い低いを問わず、目安(投書)をもって申すべし。
時と場合によって自らその覚悟をする。
我、人を使うにあらず。
その業を使うにあり。
大将たる者は、家臣に慈悲の心をもって接することが、最も重要である。
今後は、一人働きは無用である。
足軽を預かっていながら独りよがりの行動をとれば、組の者は組頭をなくし、味方の勝利を失うことになるからだ。
風林火山 –
疾(と)きこと風の如く、
徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、
動かざること山の如し。
為せば成る
為さねば成らぬ成る業(わざ)を
成らぬと捨つる人のはかなき
三度ものをいって三度言葉の変わる人間は、嘘をつく人間である。
勝敗は六分か七分勝てば良い。
八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。
戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。
五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず。
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。
晴信(信玄)の弓矢は欲のためではなく、民百姓を安楽にするためだと民に知らせれば、わしが軍を進めるのを待ち望むようになる。
百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず。