武田信玄(たけだ しんげん)の名言・格言|戦国最強

名言・格言集

武田信玄(たけだ しんげん)

1521年12月1日〜1573年5月13日(51歳)

甲斐国要害山城(現在の山梨県甲府市上積翠寺町)出身。

国籍=日本。

武将、甲斐の守護大名・戦国大名。

天下一の軍団として怖れられた武田軍を率いた。

名言=「もう一押しこそ慎重になれ。」

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)

『武田信玄』の名言・格言

心の迷いを消してくれる。

数々の名言を連発している武田信玄さん。

その中でも『武田信玄』の名言をご紹介していきます。

武将が陥りやすい三大失観。
一、分別あるものを悪人と見ること
一、遠慮あるものを臆病と見ること
一、軽躁なるものを勇剛と見ること

負けまじき軍に負け、亡ぶまじき家の亡ぶるを、人みな天命と言う。
それがしに於いては天命とは思はず、みな仕様の悪しきが故と思うなり。

渋柿は渋柿として使え。
継木をして甘くすることなど小細工である。

信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ。

人間にとって学問は、木の枝に繁る葉と同じだ。

戦いは四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。
ただし二十歳前後は、自分より小身の敵に対して、負けなければよい。
勝ちすぎてはならない。
将来を第一に考えて、気長に対処することが肝要である。

自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。
この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ。

一日ひとつずつの教訓を聞いていったとしても、ひと月で三十か条になるのだ。
これを一年にすれば、三百六十か条ものことを知ることになるのではないか。

もう一押しこそ慎重になれ。

いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとしである。
人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない。

晴信(信玄)が定めや法度以下において、違反しているようなことがあったなれば、身分の高い低いを問わず、目安(投書)をもって申すべし。
時と場合によって自らその覚悟をする。

我、人を使うにあらず。
その業を使うにあり。

大将たる者は、家臣に慈悲の心をもって接することが、最も重要である。

今後は、一人働きは無用である。
足軽を預かっていながら独りよがりの行動をとれば、組の者は組頭をなくし、味方の勝利を失うことになるからだ。

風林火山 –
疾(と)きこと風の如く、
徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、
動かざること山の如し。

為せば成る
為さねば成らぬ成る業(わざ)を
成らぬと捨つる人のはかなき

三度ものをいって三度言葉の変わる人間は、嘘をつく人間である。

勝敗は六分か七分勝てば良い。
八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。

戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。
五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず。

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。

晴信(信玄)の弓矢は欲のためではなく、民百姓を安楽にするためだと民に知らせれば、わしが軍を進めるのを待ち望むようになる。

百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず。

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