瀬戸内寂聴(セトウチジャクチョウ) 旧姓=瀬戸内晴美
1922年生まれ、徳島県出身。
僧侶、作家。
- 1957年、作家デビュー。
- 73年、平泉中尊寺で得度、51歳で法名寂聴となる。
- 87年、天台寺の住職に就く。05年6月、住職を引退。
- 06年、『文化勲章』受章。
- 21年11月、死去(享年99歳)。
- 小説家として、代表作は1962年「夏の終り」、1968年「遠い声」、2001年「場所」。1963年「夏の終り」で女流文学賞を受賞。
瀬戸内寂聴の名言(元気)
やる気が溢れ出る。
数々の名言を連発している瀬戸内寂聴さん。
その中でも心に残る言葉をご紹介していきます。
一日一日を大切に過ごしてください。
そして、「今日はいい事がある。いい事がやってくる」
「今日はやりたい事が最後までできるんだ」
この事を思って生活してみてください。
健康の秘訣は、言いたいことがあったら口に出して言うことです。
そうすると心のわだかまりがなくなります。
一日に一回は鏡を見る方がいいです。
できればにっこりと笑ってみてください。
心にわだかまりがない時は、表情がいきいきしているはずですよ。
いくつになってもおしゃれ心を失わないこと、好奇心を失わないこと、若い人と付き合うこと。
これが、若さを保つ秘訣です。
瀬戸内寂聴の名言(夢・努力・勇気)
「念ずれば花開く」という言葉があります。
私は何かをするとき、必ずこれは成功するという、いいイメージを思い描くようにしています。
人生はいいことも悪いことも連れ立ってやってきます。
不幸が続けば不安になり、気が弱くなるのです。
でも、そこで運命に負けず勇気を出して、不運や不幸に立ち向かってほしいのです。
もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、どうしたって危険な道、恐い道を歩かねばなりません。
そういう道を求めて歩くのが、才能に賭ける人の心構えなのです。
生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。
無為にだらしない生き方をするより真剣に生きるほうが、たとえ短命でも値打ちがあります。
たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが、死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。
逃げていたんじゃあ、貧相な人生しか送れませんわね。
瀬戸内寂聴の名言(恋愛・結婚)
男女の間では、憎しみは愛の裏返しです。
嫉妬もまた愛のバロメーターです。
男女の恋の決算書はあくまでフィフティ・フィフティ。
夫婦の間でも、恋人の間でも、親子の間でも、常に心を真向きにして正面から相手をじっと見つめていれば、お互いの不満を口にする前に相手の気持ちがわかるはずです。
妻は、やさしくされることを望んでいるだけではない。
やさしい心で理解されることを望んでいる。
同床異夢(どうしょういむ)とは、同じ布団で寝ていても同じ夢は見られないことです。
愛の情熱は三年位しか続きません。
夫婦は苦楽を共にして愛情を持ち続けるのです。
世間的に申し分のない夫や妻であっても、相手が欲していなければ、それは悪夫、悪妻です。
そんな時はさっさと別れて、自分の良さを認めてくれる相手を探すことです。
恋を得たことのない人は不幸である。
それにもまして、恋を失ったことのない人はもっと不幸である。
理解できないと投げ出す前に、理解しようと相手と同じレベルに立って感じることを心がけましょう。
人間は万能の神でも仏でもないのですから、人を完全に理解することもできないし、良かれと思ったことで人を傷つけることもあります。
そういう繰り返しの中で、人は何かに許されて生きているのです。
人の話を聞く耳を持つことは大事です。
もし身の上相談を受けたら、一生懸命聞いてあげればいいのです。
答えはいりません。
ただ聞いてあげればいいのです。
人とつきあうのに秘訣があるとすれば、それはまずこちらが相手を好きになってしまうことではないでしょうか。
どんなに好きでも最後は別れるんです。
どちらかが先に死にます。
人に逢うということは必ず別れるということです。
別れるために逢うんです。
だから逢った人が大切なのです。
瀬戸内寂聴の名言(愛)
相手が今何を求めているか、何に苦しんでいるかを想像することが思いやりです。
その思いやりが愛なのです。
お返しを期待しない、感謝の言葉も求めない。
それが本当の奉仕です。
愛に見返りはないんです。
初めからないと思ってかからないと駄目です。
本当の愛に打算はありません。
困ったときに損得を忘れ、助け合えるのが愛なのです。
幸福になるためには、人から愛されるのが、いちばんの近道です。
自分を愛してもらいたいから、相手を愛する、それが渇愛です。
自分を忘れて他人に尽くす仏さまの慈悲とは正反対ということです。
慈悲はお返しを求めません。
人は、人を愛していると思い込み、実は自分自身だけしか愛していない場合が多い。
人間として生まれると、他の動物にはない誇りが心に生じるのだと思います。
学校の成績より、他者の苦しみを思いやれる想像力のある人間こそ素晴らしいのです。
愛する者の死と真向きになったとき、人は初めてその人への愛の深さに気づきます。
「私の命と取り替えてください」と祈る時の、その純粋な愛の高まりこそ、この世で最も尊いものでしょう。
あなたは苦しんだ分だけ、愛の深い人に育っているのですよ。
瀬戸内寂聴の名言(人生)
私たちの生きているこの世で起きることにはすべて原因がある、これが「因」です。
起こった結果が「果」です。
因果応報というように、必ず結果は来るのです。
人間は、元々そんなに賢くありません。
勉強して修行して、やっとまともになるのです。
いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。
すべてに感謝しましょう。
あなたはたった一つの尊い命をもってこの世に生まれた、大切な存在です。
死というものは、必ず、いつか、みんなにやって来るもの。
でも、今をどのように生きて行くか、何をしたいか、生きることに本当に真剣になれば、死ぬことなんて怖くなくなるもんです。
人間は生まれる場所や立場は違っても、一様に土にかえるか海に消えます。
なんと平等なことでしょう。
人間は善悪両方を持っています。
それを、自分の勉強や修行によって、善悪の判断をし、悪の誘惑に負けずに善行を積んでいくことが人間の道なのです。
生かされているのですから素直に有り難いと思いましょう。
生きている値打があるから生かされているのですもの。
年を取るということは、人の言うことを聞かないでいいということだと思います。
あとちょっとしか生きないんだからと好きなことをしたらいいんです。
周りを気にして人生を狭く生きることはありません。
夜の熟睡を死んだように眠るとたとえるのは、適切な表現かもしれません。
人は夜、眠りの中に死んで、朝目を覚ます時は死から甦るのだと考えられるからです。
「日々これ新たなり」ですね。
瀬戸内寂聴の名言(心)
人は、不幸のときは一を十にも思い、幸福のときは当たり前のようにそれに馴れて、十を一のように思います。
人間はいつも無いものねだりなのです。
そして心はいつも満たされない思いで、ぎしぎし音を立てています。
欲望はほどほどに抑えましょう。
とにかく人のことが気になって気になってしょうがない、これが物事にとらわれている心です。
そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません。
自由に生きるとは、心のこだわりをなくすことです。
自分の心を見つめて、ひとつでもふたつでも、そこに凝り固まっているこだわりをほぐしていくことが大切です。
心のこだわりをなくそうとするなら、まず人に施すことから始めてください。
施すのが惜しい時はなぜ惜しいかを徹底的に考えてみることです。
心の風通しを良くしておきましょう。
誰にも悩みを聞いてもらえずうつむいていると病気になります。
信頼できる人に相談して、心をすっとさせましょう。
人に憎しみを持たないようにすると、必ず綺麗になりますよ。
やさしい心と奉仕の精神が美しさと若さを保つ何よりの化粧品なのです。
人は所詮一人で生まれ、一人で死んでいく孤独な存在です。
だからこそ、自分がまず自分をいたわり、愛し、かわいがってやらなければ、自分自身が反抗します。
美しいもの、けなげなもの、可愛いもの、または真に強い勇ましいものに感動して、思わず感情がこみあげて、涙があふれるというのは若さの証しです。
ものに感動しないのが年をとったということでしょう。
木々の緑や紅葉や美しい花が地球から消え去ったら、人間の暮らしは殺風景になり、感動することがなくなってしまうでしょう。
瀬戸内寂聴の名言(孤独)
人間は生まれた時から一人で生まれ、死ぬ時も一人で死んでゆきます。
孤独は人間の本性なのです。
だからこそ、人は他の人を求め、愛し、肌であたため合いたいのです。
この世は変化するものだと思っていれば、どんな事態に直面しても度胸が据わります。
孤独の問題も同じです。
お釈迦様は人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいくとおっしゃいました。
最初から人間は孤独だと思っていれば、たとえひとりぼっちになったとしても、うろたえることはありません。
結局、人は孤独。好きな人と同じベッドで寝ていても、同じ夢を見ることはできないんですもの。
自分が孤独だと感じたことのない人は、人を愛せない。
瀬戸内寂聴の名言(悲しみ・苦しみ)
どんな悲しみや苦しみも必ず歳月が癒してくれます。
そのことを京都では『日にち薬(ひにちぐすり)』と呼びます。
時間こそが心の傷の妙薬なのです。
私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです。
挫折感の深い人は、その分、愛の深い人になります。
悩みから救われるにはどうしたらいいでしょうという質問をよく受けます。
救われる、救われないは、自分の心の問題です。
とらわれない心になれば救われます。
心を込めて看病してきた人を亡くし、もっと何かしてあげればよかったと悲しみ悔んでも、亡くなった方は喜びません。
メソメソしているあなたを見てハラハラしていることでしょう。
早く元気を取り戻してください。
人間に与えられた恩寵に「忘却」がある。
これは同時に劫罰でもあるのですが。
たとえ恋人が死んでも、七回忌を迎える頃には笑っているはず。
忘れなければ生きていけない。
別れの辛さに馴れることは決してありません。
幾度繰り返しても、別れは辛く苦しいものです。
それでも、私たちは死ぬまで人を愛さずにはいられません。
それが人間なのです。
病気は神さまの与えてくださった休暇だと思って、ありがたく休養するのが一番いい。
人生にはいろいろなことがあります。
しかし、悲しいことは忘れ、辛いことはじっと耐え忍んでいきましょう。
それがこの四苦八苦の世を生きる唯一の方法ではないかと思います。
瀬戸内寂聴の名言(女性)
おしゃれの女は、掃除が下手と見て、だいたいまちがいない。
大抵の人間は自分本位です。
特に女性は、自分中心に地球が廻っていると思っていて、思い通りにならない現実に腹を立てて愚痴ばかり言うのです。
思い当たることはありませんか。
瀬戸内寂聴の名言(子供・教育)
子どもと目線を同じにして対等に話をしてください。
大人は皆、上から物を言い過ぎます。
そして、世の中は生きる価値があると感じてもらえるように、大人が努力しましょう。
私は物心ついた時から職人の娘でした。
盆暮れしか休みが無いのが当然でしたから、人間は働くものだと思って育ちました。
これは無言のしつけだったのでしょう。
本当に苦しんでいる子どもに、いろんな理屈を言っても駄目。
まずは、子どもを抱きしめてやることが大切なんです。
学校の成績なんて気にすることはありません。
何か好きなことが一つあって、それを一生懸命できるということが人生の一番の喜びなんです。
お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげてください。
瀬戸内寂聴の名言(戦争)
あらゆる戦争は悪だと思っています。
戦争にいい戦争なんてありません。
私たち老人は、そのことを語り継がなければなりません。
戦争はすべて悪だと、たとえ殺されても言い続けます。