アルベール・カミュ(Albert Camus)
1913年11月7日〜1960年1月4日(46歳)
フランス領アルジェリアのモンドヴィ(現在のドレアン)出身。
国籍=フランス。
小説家、劇作家、哲学者。
代表作は『異邦人』『シーシュポスの神話』『ペスト』など。
43歳の若さでノーベル文学賞を受賞。
名言=「幸せになるためには、他人に関与しすぎてはいけない。」
『アルベール・カミュ』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発しているアルベール・カミュさん。
その中でも『アルベール・カミュ』の名言をご紹介していきます。
魅力とは明瞭な質問をしなくてもイエスと言ってもらう方法である。
しなやかな心は恵まれている。
それは決して折れることがないのだ。
幸せになるためには、他人に関与しすぎてはいけない。
勇気に欠ける者は、常にそれを正当化するための理屈を見出す。
人間が唯一偉大であるのは、自分を越えるものと闘うからである。
愛されないということは不運であり、愛さないということは不幸である。
人間は理由もなしに生きていくことはできないのだ。
僕の後ろを歩かないでくれ。
僕は導かないかもしれない。
僕の前を歩かないでくれ。
僕はついていかないかもしれない。
ただ僕と一緒に歩いて、友達でいてほしい。
涙が出そうになるくらいに、生きろ。
幸せが何から成っているのか探し続けている人は、決して幸せになれない。
人生の意味を見出そうとしている人は、決して生きているとはいえない。
希望とは一般に信じられている事とは反対で、あきらめにも等しいものである。
そして生きることは、あきらめないことである。
強い心、知性、勇気があれば、運命の力を阻み、しばしばそれを逆転することが可能である。
ひとりの思想家が進歩するのは、たとえそれが明々白々であるように思えても、自分の結論を遅らせることによってなのだ。
わたしは犬に対して、昔から揺るぎない愛着を持っている。
犬が好きな理由は、彼らはわたしのすることをいつも許してくれるからである。
倫理なき男は、この世に放たれた野獣だ。
すべては使い果たされたのか?
よろしい。
それなら、これから生き始めよう。
激しく愛するには、数少なく愛さねばならぬという理由がどこにあろうか。
不滅とは、未来のない観念である。
自由とは、より良くなるための機会のことだ。
最後の審判を待っていてはいけない。
それは毎日くだされているのだ。
幸福とは、それ自体が長い忍耐である。
無益で希望のない労働以上に恐ろしい刑罰はない。
ある種の人々が、ただ正常であろうとするためだけにとんでもない力を費やしているということを、誰も気づいてはいない。
絶望が純粋なのはたった一つの場合だけである。
それは死刑の宣告を受けたときである。
人生それ自体に意味などない。
しかし、意味がないからこそ生きるに値するのだ。
すべての葉が花となるとき、秋はもう一つの春である。
やましい心には罪の告白が必要である。
芸術作品とは告白なのだ。
未来に対する真の寛大さとは、現在にすべてを与えることにある。
知性に優れた人とは、自分自身を監視できる人だ。
人間は現在の自分を拒絶する唯一の生きものである。
意志もまた、一つの孤独である。
重要なのは、病から癒えることではなく、病みつつ生きることだ。
世間に存在する悪は、大半がつねに無知に由来する。
明識がなければ、よい意志も悪意と同じほどの多くの被害を与えることもあり得る。
人間にはそれぞれ運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない。
労働なくしては、人生はことごとく腐ってしまう。
だが、魂なき労働は、人生を窒息死させてしまう。
貧苦とは、寛大さこそ美徳であるような状態だ。
革命的精神はすべて、人間の条件に反対する人間の抗議のうちにある。
貧困は僕にとって必ずしも憎むべきものではなかった。
なぜなら、太陽と海は決して金では買えなかったから。
結婚しても愛することはできる。
しかし結婚すれば今まで以上に働かねばならない。
働いて働いて、その結果、愛することを忘れてしまうのである。
結局のところ、芸術の偉大さとは、美と痛み、人類愛と世界の狂気、耐えがたい孤独、疲弊させる人々、拒絶と同意との間の絶えざる緊張にあるのだろう。
高潔さにルールは必要ない。
哲学の価値は、哲学者の価値によって決まる。
人間が偉大であれば偉大であるほど、その哲学も真実である。
生きることへの絶望なしに、生きることへの愛はない。
真実は光と同様に目をくらます。
虚偽は反対に美しいたそがれどきであって、すべてのものをたいしたものに見せる。
真冬、わたしはついに自分の中に非常に揺るぎない夏があることを悟った。
転落は夜明けに起こる。
偉大な行動や思想は、ばかばかしいきっかけで生まれる。
街角やレストランの回転ドアから、名作は生まれるのだ。
人間は永遠の不正に対して闘うために正義を肯定すべきであり、世界の不幸に対して抗議するために幸福を創造すべきである。
われ反抗す、ゆえにわれら在り。
悪しき作家とは、読者に理解できない自己の内部での文脈を考慮に入れながら書く連中である。