明智光秀(あけち みつひで)
不詳(1528年説、1516年説などがある)〜1582年7月2日
享年(1528年生まれの場合は54歳、1516年生まれ場合は66歳)
美濃国の明智荘の明智城(現在の岐阜県可児市)出身 ※ 出生地も諸説あり。
武将、大名。
本能寺の変により主君の織田信長を自害させた。
名言=「敵は本能寺にあり」
『明智光秀』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発している明智光秀さん。
その中でも『明智光秀』の名言をご紹介していきます。
仏のうそは方便という。
武士のうそは武略という。
土民百姓はかわゆきことなり。
自分は他の誰でもない煕子殿を妻にと決めている。
瓦礫のように落ちぶれ果てていた自分を召しだしそのうえ莫大な人数を預けられた。
一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない。
時(土岐)は今
雨が下しる(天が下知る)
五月哉
※ 光秀の発句
土岐氏の一族の出身であるこの光秀が、天下に号令するという意味合いを込めた句であるとしている。
敵は本能寺にあり
順逆二門に無し
大道心源に徹す
五十五年の夢
覚め来れば
一元に帰す
※ 辞世の句
心しらぬ
人は何とも
言はばいへ
身をも惜まじ
名をも惜まじ
※ 辞世の句
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