吉田松陰(よしだ しょういん)の名言・格言|幕末の志士

名言・格言集

吉田松陰(よしだ しょういん)

1830年9月20日〜1859年11月21日(29歳)

長州萩城下松本村(現在の山口県萩市)出身。

国籍=日本。

武士(長州藩士)、思想家、教育者。

江戸時代末期の志士、長州藩士、思想家。のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。

名言=「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。」

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)

『吉田松陰』の名言・格言

心の迷いを消してくれる。

数々の名言を連発している吉田松陰さん。

その中でも『吉田松陰』の名言をご紹介していきます。

夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。

私心さえ除き去るなら、
進むもよし退くもよし、
出るもよし出ざるもよし。

一日一字を記さば
一年にして三百六十字を得、
一夜一時を怠らば、
百歳の間三万六千時を失う。

大器をつくるには、いそぐべからずこと。

人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。
聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。

小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。
死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。
武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。
心懐爽快ならば人間やつれることはない。

今日の読書こそ、真の学問である。

みだりに人の師となるべからず。
みだりに人を師とすべからず。

一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。
一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。
一日努力すれば、一日の効果が得られる。
一年努力すれば、一年の効果がある。

道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。

大事なことを任された者は、才能を頼みとするようでは駄目である。
知識を頼みとするようでも駄目である。
必ず志を立てて、やる気を出し努力することによって上手くいくのである。

過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。

自分の価値観で人を責めない。
一つの失敗で全て否定しない。
長所を見て短所を見ない。
心を見て結果を見ない。
そうすれば人は必ず集まってくる。

平凡で実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。
人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、大才の士は、もとめることが出来ない。 

学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。 

志定まれば、気盛んなり。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

人間には精気というものがあり、人それぞれに精気の量は決まっている。
この精気なるものは抑制すべきである。
抑制すればやがて溢出する力が大きく、ついに人間、狂にいたる。
しかし、おのれの欲望を解放することによって、固有の気が衰え、ついに惰になり、物事を常識で考える人間になってしまう。

君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

敵が弱いように、敵が衰えるようにと思うのは、皆、愚痴もはなはだしい。
自分に勢いがあれば、どうして敵の勢いを恐れようか。
自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れようか。

至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。 

17、18の死が惜しければ、30の死も惜しい。
80、90、100になってもこれで足りたということはない。
半年と云う虫たちの命が短いとは思わないし、松や柏のように数百年の命が長いとも思わない。
天地の悠久に比べれば、松柏も一時蠅(ハエのような存在)なり。

世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。
反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。
魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。

学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある。

学問の上で大いに忌むべきは、したり止めたりである。
したり止めたりであれば、ついに成就することはない。

人を観察するのは、目によってする。
胸の中が正しいか、正しくないかは、瞳が明るいか、暗いかによって分かる。

今の世の中、優れた人物がいないと人は言うが、上の者が優れている人物を好むということさえすれば、人物がいないことを心配する必要はない。

教えるの語源は「愛しむ」。
誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。

人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。
わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。

どんな人間でも一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。
その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。
これこそが人を大切にするうえで最も大事なことだ。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

奪うことができないものは志である。
滅びないのはその働きである。

成功するせぬは、もとより問うところではない。
それによって世から謗されようと褒められようと、自分に関することではない。
自分は志を持つ。
志士の尊ぶところは何であろう。
心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。

賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。
責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。
武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。

悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。
何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。

思想を維持する精神は、狂気でなければならない。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になるにせよ、罪に服することによってできるが、もし人間道徳の根本義をやぶれば、誰に向かってつぐないえるか、つぐないようがないではありませぬか。

人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。

利をうとんずるといふ事は、必ずしも富を厭ひ貧を欲するといふ事ではない。
貧富によりて少しも心をみださないといふことである。

親思う心にまさる親心。

満開となれば、やがて花は落ちる。
太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。
人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。
百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などない。

だいたいにおいて世間の毀誉(悪口と称賛)というものは、あてにならぬものである。

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