高杉晋作(たかすぎ しんさく)の名言・格言|幕末の志士

名言・格言集

高杉晋作(たかすぎ しんさく)

1839年9月27日〜1867年5月17日(27歳)

長門国萩城下菊屋横丁(現在の山口県萩市)出身。

国籍=日本。

武士(長州藩士)

長州藩の尊王攘夷の志士として活躍。奇兵隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。

名言=「苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。」

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)

『高杉晋作』の名言・格言

心の迷いを消してくれる。

数々の名言を連発している高杉晋作さん。

その中でも『高杉晋作』の名言をご紹介していきます。

高杉晋作の名言・格言集

「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。
人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。

シャクトリムシのように身を屈するのも、いずれは龍のように伸びるためだ。
そのためには、奴隷になっても、下僕になっても構わない。

いまの場合、一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわす。
尊王の臣子たるもの一日として安閑としている場合ではない。

少年の頃、読んだ本に「学問を成すなら世間から利口と思われる人になるな。世間から愚者と思われる人になれ。」とあったので世間から愚者と思われる人になろうと僕は願った。

苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。

人間、窮地におちいるのはよい。
意外な方角に活路が見出せるからだ。
しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。
だから、おれは困ったの一言は吐かない。

真の楽しみは苦しみの中にこそある。

古くから天下のことを行う者は、大義を本分とし、決して他人に左右されることなく、断固として志を貫く。
禍福や死生によって気持ちが揺れ動いたりするものではない。

過ちを改めれば、それは過ちではないのだ。

今さらに
なにをかいわむ
遅桜
故郷の風に
散るぞうれしき
先生を
慕うてようやく
野山獄

おもしろき
こともなき世を
おもしろく

これよりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく

国のために家が潰れても、家などは軽いものである。
世間が僕を狂っているといっても構わない。

死だなら
釈迦と孔子に追いついて
道の奥義を
尋ねんとこそ思へ

苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように。

心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。

人間というのは困難は共にできる。
しかし富貴は共にできない。

先が短いなら短いなりに僕は面白う生きたい。
派手な打ち上げ花火を打ち上げて、消えていく…
それが高杉晋作の生き方ですき。

戦いは一日早ければ一日の利益がある。
まず飛びだすことだ。
思案はそれからでいい。

天地も人も皆気のみである。
気を養えば、人間あとは行動に移すのみだ。

天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。

負けて退く人をよわしと思うなよ。
知恵の力の強きゆえなり。

同志と共に国を作ろうとしている。
曲がった国が真っ直ぐになるのはいつか分からない。
その苦労は死んでからじっくりと味わおう。

翼あらば
千里の外も飛めぐり
よろづの国を
見んとしぞおもふ

世間の人々は名誉や利益を追って走っている。
そんな時代に利益や名誉を捨てる僕のようなものが他にいるだろうか。
僕はたとえ牢で死んでも恨みはない。

人は旧を忘れざるが義の初め。

人は人
吾は吾なり
山の奥に
棲みてこそ知れ
世の浮沈

男児が事を成すには時があるのだ。
たとえ市井の侠客と呼ばれても、胸にある一片の素の心は全く変わっていない。

直言実行、傍若無人、死を恐れない気迫があるからこそ、国のために深謀深慮の忠も尽くせるのだ。

友人の信頼の度合いは人の死や緊急事態、困難の状況の時に分かる。

後れても
後れてもまた
卿(きみ)たちに
誓ひしことを
われ忘れめや

三千世界の鴉を殺し
ぬしと朝寝をしてみたい

生きるか死ぬかは時機に任せよう。
世の人が何と言おうと、そんなことは問題ではないのだ。

太閤も天保弘化に生まれなば、何も得せずに死ぬべかりけり。

死後に墓前にて
芸妓御集め
三弦など御鳴らし
御祭りくだされ

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