オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)の名言・格言

名言・格言集

オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)

1854年10月16日〜1900年11月30日(46歳)

グレートブリテン及びアイルランド連合王国のダブリン出身。

国籍=イギリス。

詩人、劇作家、小説家。

代表作は『ドリアン・グレイの肖像』『サロメ』『幸福な王子』など。

名言=「善人はこの世で多くの害をなす。彼らがなす最大の害は、人びとを善人と悪人に分けてしまうことだ。」

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)

『オスカー・ワイルド』の名言・格言

心の迷いを消してくれる。

数々の名言を連発しているオスカー・ワイルドさん。

その中でも『オスカー・ワイルド』の名言をご紹介していきます。

老人はあらゆる事を信じる。
中年はあらゆる事を疑う。
青年はあらゆる事を知っている。

大衆とはすばらしく寛容だ。
天才以外のすべてを許す。

生きるとは、この世でいちばん稀なことだ。
たいていの人は、ただ存在しているだけである。

楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る。

人生は複雑じゃない。
私たちの方が複雑だ。
人生はシンプルで、シンプルなことが正しいことなんだ。

女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。
男に欠点が多ければ多いほど、女は何もかも許してくれる。
我々の知性さえもだ。

人生には選ばなければならない瞬間がある。
自分自身の人生を充分に、完全に、徹底的に生きるか、社会が偽善から要求する偽の、浅薄な、堕落した人生をだらだらと続けるかの、どちらかを。

善人はこの世で多くの害をなす。
彼らがなす最大の害は、人びとを善人と悪人に分けてしまうことだ。

定義するということは限定することだ。

一貫性というのは、想像力を欠いた人間の最後のよりどころである。

私たちは、不必要なものだけが必需品である時代に生きている。

彼女は、弱さという何ともいえない魅力を欠いている。

皮肉屋とは、あらゆるものの値段を知っているが、何ものの値打ちも知らない人間のことである。

教育は結構なものである。
しかしいつも忘れてはならない。
知る価値のあるものは、すべて教えられないものだということを。

社会は個人に対して極刑を加える権利を持つかのように揮うが、社会は浅薄きわまりない悪徳をもっていて、己の行う事を自覚する力がない。

ほとんどの人々は他の人々である。
彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、そして彼らの情熱は引用である。

男の人って、一度女を愛したとなると、その女のためなら何だってしてくださるでしょ。
たった一つ、してくださらないもの、それはいつまでも愛し続けるってことよ。

男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる。

私は信条より人間を好む。
そして、信条のない人間をこの世でもっとも好む。

本当に魅力的な人間には、2種類しかない。
何もかも知り尽くしている人間か、まったく何も知らぬ人間かのどちらかである。

他人の悲劇は、常にうんざりするほど月並みである。

男女の間では友情は不可能だ。
情熱と敵意と崇拝と愛はあるが、友情はない。

僕は彼女が大好きだが愛してなどいない。
一方彼女は僕を熱烈に愛しているがそれほど好きではない。

若い人たちは誠実になろうと欲するが、そうはできない。
老いたる人たちは不誠実になろうとするが、そうはできない。

不正よりもなお困ったものがひとつだけある。
それは、手に剣を持たぬ正義だ。

拙劣な詩はすべて本当の感情から生まれる。

我々男が女を愛するときに、女の弱さも、あやまちも、不完全さも、ちゃんと知りつくした上で愛するんだ。
いや、それだからこそいっそう愛するのかもしれない。
愛を必要とするのかもしれない。
愛を必要とするのは完全な人間じゃない。
不完全な人間こそ、愛を必要とするのだ。

すべての女性は彼女の母親に似るようになる。
それが女の悲劇だ。
男は彼の母親の思い通りにならない。
それが男の悲劇だ。

人は自分の最も悪い習慣でさえ失うことを残念がる。
おそらく、最も残念がるだろう。
なぜなら、それこそがその人の人格の本質的な部分であるからだ。

軽薄な者だけが自らを知る。

愛情のない結婚は悲劇だ。
しかしまるっきり愛情のない結婚よりいっそう悪い結婚が一つある。
それは、愛情はあるが片一方にだけ、という場合だ。

結婚のひとつの魅力は、双方にとってだまし合いの生活が絶対必要となることだ。

夫婦間の愛情というものは、お互いがすっかり鼻についてから、やっと湧き出してくるものなのです。

野心は失敗の最後の避難所だ。

すべての良い決心には、宿命的な欠陥がある。
すなわちいつもそれが早すぎるということだ。

わずかばかりの誠実さは危険であり、度を越した誠実さは致命的である。

流行とはひとつの醜さの形であり、とても人を疲れさせるので、三か月ごとに変える必要がある。

経験とは、誰もが自分の過ちにつける名前のことだ。

女はおべっかによっては、けっして武装を解除されはしないが、男はたいてい陥落される。

人が恋をする時、それはまず、自己を欺くことによって始まり、また、他人を欺くことによって終わる。

結婚はまさしく相互の誤解にもとづくものである。

現代の女性は、あらゆることを理解する。
ただ、自分の亭主のことだけは理解しない。

すべてを知ろうとするほど私は若くはない。

誰でも愛される価値がある。
もっとも、「自分こそそうだ」と思い上がっている者は別だ。

誰でも友人の悩みには共感を寄せることができる。
しかし友人の成功に共感を寄せるには優れた資質が必要だ。

男はどんな女とも幸福にやっていくことができる。
その女を愛さない限りは。

女が再婚する場合、それは先夫を嫌っていたからだ。
男が再婚する場合、それは先妻を熱愛していたからだ。

独身貴族には重税を課すべきだ。
ある男は他の男より幸せだというのは不公平である。

今日、結婚した男はみな独り者みたいに、そして独り者の男はみな結婚しているみたいに暮らしている。

経験はただで手に入らないものだ。

現代の道徳は、現代の基準を受け入れる点にある。
いやしくも教養のある人間にとって、現代の基準を受け入れるということは、愚劣きわまる不道徳のひとつの形式だと思う。

他人に何を読むべきかを教えることは、たいてい無用であるか有害かのどちらかだ。
なぜなら文学の理解は、気質の問題であって、教える問題ではないのだから。

人々が私に賛成するときはいつも、私は自分が間違っているに違いないと感じる。

民衆が好まない事柄は革新である。

民主主義とは人民の人民による人民のための脅しにすぎない。

説教する男は一般に偽善者だし、説教する女はきまって器量が悪い。

戦争では強者が弱者という奴隷を、平和では富者が貧者という奴隷をつくる。

われわれは女性を解放したが、女のほうは依然として主人を捜している奴隷だ。

悲しみの表現を身につけると、あなたにとって貴重なものとなる。
喜びの表現を身につければ、限りない喜びが味わえるというものだ。

戦争が邪悪だと認められている限り、戦争は常にその魅力を持つだろう。
これが卑俗なものだと考えられる時は、戦争は一時的なものに終わるであろう。

文学とジャーナリズムの違いは何だろうか。
ジャーナリズムは読むに耐えない。
文学は読む人がいない。
それがすべてだ。

子供は最初は親を愛するが、やがて親を裁くようになる。
許すことはまずめったにない。

私は単純な楽しみごとが好きだ。
それらは複雑な人間にとって最後の避難所である。

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