村上春樹(むらかみ はるき)
1949年1月12日生まれ。
京都府京都市伏見区出身。
国籍=日本。
小説家、文学翻訳家。
名言=「希望があるところには必ず試練があるものだから。」
『村上春樹』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発している村上春樹さん。
その中でも『村上春樹』の名言をご紹介していきます。
僕らはとても不完全な存在だし、何から何まで要領よくうまくやることなんて不可能だ。
不得意な人には不得意な人のスタイルがあるべきなのだ。
ものごとがあまりに完全だと、そのあとに決まって反動がやってくる。
それが世のならいだ。
人は勝つこともあるし、負けることもあります。
でもその深みを理解していれば、人はたとえ負けたとしても、傷つきはしません。
人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。
人はいつか必ず負けます。
大事なのはその深みを理解することなのです。
誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。
しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。
私が小説を書く理由はひとつだけです。
個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。
どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。
インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない。
目に見えるものが、ほんとうのものとは限らない。
遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。
何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何ももてないんじゃないかと心配してる。
みんな同じさ。
月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。
孤独好きな性格を守るのに、誰にも迷惑をかけてないはずだという論理は逃げである。
孤独は闘い取るものだ。
闘い取られていない孤独は、いつか人の心を蝕む。
過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。
希望があるところには必ず試練があるものだから。
一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。
高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。
そんな時に私は常に卵の側に立つ。
少しずつ向上する。
少しずつだけれど、それでも向上は向上だ。
自分に同情するな。
自分に同情するのは、下劣な人間のやることだ。
深刻になることは必ずしも、真実に近づくこと…ではない。
多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。
いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。
人々は闇の中から出てくる何かを見つけることで闇の中から救われることができる。
ひとつを解くことはおそらく、もうひとつをより明快に解くことになるはずだ。
慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。
この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。
人はどんどん変わっていくし、過去の発言に縛られたくありません。
僕たちは一年ごと、一月ごと、一日ごとに齢を取っていく。
時々僕は自分が一時間ごとに齢を取っていくような気さえする。
そして恐ろしいことに、それは事実なのだ。
人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません。
僕は逃げられないし、逃げるべきではないのだ。
それが僕の得た結論だった。
たとえどこに行ったところで、それは必ず僕を追いかけてくるだろう。
どこまでも。
忘れたいものは絶対に忘れられないんです。
流れというものが出てくるのを待つのは辛いもんだ。
しかし待たねばならんときには、待たねばならん。
この世界において、退屈でないものには人はすぐ飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。
そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。
信仰の深さと不寛容さは、常に裏表の関係にあります。
どれほどこっそり息を潜めていても、そのうちに誰かが必ずあなたを見つけ出します。
僕は違う自分になることによって、それまでの自分が抱えていた何かから解放されたいと思っていたんだ。
僕は本当に、真剣に、それを求めていたし、努力さえすればそれはいつか可能になるはずだと信じていた。
でも結局のところ、僕はどこにもたどりつけなかったんだと思う。
僕はどこまでいっても僕でしかなかった。