ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)
1856年7月26日〜1950年11月2日(94歳)
グレートブリテン及びアイルランド連合王国のダブリン出身。
国籍=アイルランド。
劇作家、劇評家、音楽評論家、政治家、教育家。
代表作は『ピグマリオン』『聖女ジョウン』『シーザーとクレオパトラ』など。ノーベル文学賞を受賞。
名言=「人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。」
『バーナード・ショー』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発しているバーナード・ショーさん。
その中でも『バーナード・ショー』の名言をご紹介していきます。
私が一つの欲望を持つかぎり、私は一つの生きる理由を持つ。
満足は死である。
人は習慣を好む、なぜなら、それを作ったのは自分だから。
嘘つきに与えられる罰は、少なくとも彼が人から信じられなくなるということではない。
むしろ、彼が誰をも信じられなくなるということである。
為すべきことは熱を与えることではなく、光を与えることなのだ。
間違った知識には注意せよ。
それは無知よりも危険である。
年をとったから遊ばなくなるのではない。
遊ばなくなるから年をとるのだ。
間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ。
家庭はどこで始まるか?
若い男と若い娘が恋愛に陥ることから始まる。
これ以上立派な道は、まだ発見されていない。
みじめな気持ちになる秘訣は、自分が幸福であるか否かについて考えるひまを持つことだ。
有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。
私は若かりしころ、10のことを試しても9つがうまくいかないことがわかった。
そこで10倍努力した。
人間ってものは自分が無鉄砲で悪い者であると思いたがる。
だが、実はそのどっちでもない。
ただ臆病だというだけさ。
自由とは責任を意味する。
だから、たいていの人間は自由を恐れる。
話す言葉によって、その人の価値は決まる。
あらゆる人間の闘争のうちで、男の芸術家と母としての女の闘争ほど、残忍かつ悲惨なものはない。
愛国心とは、自分が生まれたという理由で、その国が他よりも優れているという思い込みのことである。
より多くのことを恥じているほど、より敬意に値する。
希望を抱かぬ者は、失望することもない。
黄金律はないということが黄金律である。
近代文明を讃美するのは、だいたいにおいて蒸気機関や電信を文明だと思いこんでいる連中である。
愚か者でないならば、誠実であることは危険である。
結婚するやつは馬鹿だ。
しないやつはもっと馬鹿だ。
肩書きは、中才を際立たせ、大才の邪魔をし、小才によって汚される。
初恋とは少しばかりの愚かさと、あり余る好奇心のことだ。
人間を賢くし人間を偉大にするものは、過去の経験ではなく、未来に対する期待である。
なぜならば、期待をもつ人間は、何歳になっても勉強するからである。
人類から愛国心を叩き出さないかぎり、決して平穏な世界に住むことはできないだろう。
誰かに助言するのは、キスするのと似ている。
お金がかからないし、するのが楽しい。
いつも自分をきれいに明るく磨いておくように。
あなたは自分という窓を通して世界を見るのだから。
この世で何かまともなことをしたいと思っている男には、ガールハントのような、時間も金もかかる狩りをなしとげる余裕なんかない。
貧乏に対する恐怖に人生を支配させてしまえば、その報酬として食べていくことができるだろう。
しかし生きることはできなくなる。
すべての偉大な真理は、最初は冒涜の言葉として出発する。
できる者は実行する。
できない者が教える。
もし君と僕がりんごを交換したら、持っているりんごはやはり、ひとつずつだ。
でも、もし君と僕がアイデアを交換したら、持っているアイデアは2つずつになる。
愚か者は、自分が恥ずべきことをするとき、それは自分の義務だと言い張るものだ。
できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。
一年に2、3回以上ものを考える人はほとんどいない。
私が世界的な名声を確立したのは、一週間に1、2回ものを考えたからだ。
人生とは自分を見つけることではない。
人生とは自分を創ることである。
精神にとって、休閑期は種まき時と同じように重要だ。
肉体だって耕作しすぎたら疲れてしまう。
良識を求めることのできない人間には三種類ある。
恋をしている男。
恋をしている女。
そして、恋をしていない女である。
時間が十分にあれば、すべてのことが遅かれ早かれ誰のもとにも起こりうる。
我々が見たいのは、知識を追い求める子供の姿であって、子供を追い回す知識ではない。
何かがおかしい時は、真実が隠れてないか気をつけろ。
自分が他人にしてほしいと思うことを、他人にも同じようにしてやるべきではない。
その人の好みが自分と一致するとは限らないからだ。
あまり他人の同情を求めると、軽蔑という景品がついてくる。
二十代の頃より10倍金持ちになったという六十代の人間を見つけることは簡単だ。
だが、そのうちのだれもが10倍幸せになったとは言わないはずだ。
若いうちはすべてが許され、何も許そうとしない。
歳を経るとすべてを許すようになり、何も許されなくなる。
食べ物に対する愛より誠実な愛はない。
成功の秘訣は、多数に逆らうこと。
沈黙は軽蔑の最も優れた表現である。
物分りのいい人は自分を世の中に適合させる。
わからず屋は自分に世の中を適合させようと頑張る。
だから、全ての進歩はわからず屋のおかげである。
僕が思うにだ、女は女の生活をしようとする。
男は男の生活をしようとする。
そしてお互いに、相手を引っ張り合って、とんでもない方向に行ってしまうんだ。
恋のことなら、どんなにロマンチックでもいいんです。
ドンキホーテは読書によって紳士になった。
そして読んだ内容を信じたために狂人となった。
もし人になにかを教えようとすれば、彼は何も学ばないだろう。
自分で読まないような書物を子供に与えないこと、それをルールとせよ。
酒は人生という手術を耐えさせてくれる麻酔薬だ。
私のやり方は、言うべき正しいことを最大限の骨を折って探し出し、その後、最大限の軽率さで言ってのけることである。
情熱なき人は善人にも悪人にもなれず。
人が虎を殺そうとする場合はスポーツと呼ばれ、虎が人を殺そうとする場合は狂暴と呼ばれる。
人生には二つの悲劇がある。
一つは願いが達せられないこと。
もう一つはそれが達せられること。
正確に観察する能力は、それを有していない人間から皮肉と呼ばれる。
恋愛とは女が男を追いかけることだ。
女のほうはじっとしているのだから、女は男を待っているかのように見えるが、それはクモが無邪気なハエを網のほうへひきつけるのと同じやり方なのだ。
近代の社会においては、確信のない金を持っている男は、節操のない、貧しい女よりもさらに危険である。
人生における真の喜びは、偉大だと思える目的のために生きることである。
人類同胞に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。
それこそ非人間性の本質である。
神に祈る人間などほとんどいない。
ただ物乞いをしているだけだ。
自分が心から偉大な目標だと思うものに身を捧げること。
言い換えれば、自分自身が廃品同様にならないうちに心ゆくまで使い切ってしまうこと。
これこそ「自然の力」であり、人生の真の喜びはここにある。