大久保利通(おおくぼ としみち)
1830年9月26日〜1878年5月14日(47歳)
薩摩国鹿児島城下高麗町(現在の鹿児島県鹿児島市高麗町)出身。
国籍=日本。
武士(薩摩藩士)、政治家。
西郷隆盛、木戸孝允とともに「維新の三傑」と称される。
名言=「自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない」
『大久保利通』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発している大久保利通さん。
その中でも『大久保利通』の名言をご紹介していきます。
彼は彼、我は我でいこうよ
今日のままにして瓦解せんよりは、むしろ大英断に出て、瓦解いたしたらんにしかず
この難を逃げ候こと本懐にあらず
国家創業の折には、難事は常に起こるものである。
そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない。
堅忍不抜
※ 座右の銘: 意志が強く、辛いこともじっと耐え忍んで心を動かさないこと
目的を達成する為には人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいたら物事は進まない。
そういうものを振り切って、前に進む。
おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。
強か日本が…
※ 西郷隆盛死亡の報を受け、号泣しながら発した言葉
自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない
為政清明
※ 座右の銘: 政治を行うものは清らかでなければならない
ようやく戦乱も収まって平和になった。
よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。
それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。
明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。
明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ。
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『大久保利通』の作品
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