ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)
1874年11月30日〜1965年1月24日(90歳)
オックスフォード近郊のブレナム宮殿出身。
国籍=イギリス。
軍人、政治家、作家。
第二次世界大戦中に首相となり、英国の戦争を主導した。
名言=「凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。」
『ウィンストン・チャーチル』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発しているウィンストン・チャーチルさん。
その中でも『ウィンストン・チャーチル』の名言をご紹介していきます。
変転する状況のただ中で、ひとりの人間が終始一貫性を保つただひとつの可能性は、すべてを支配する不変の目標に忠実でありながら、状況に応じて変化することにある。
現在我々は悪い時期を通過している。
事態は良くなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。
しかし我々が忍耐し、我慢しさえすれば、やがて良くなることを私は全く疑わない。
決して屈するな。
決して、決して、決して!
凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。
風に流されている時ではない。
夢を捨てるとき、この世は存在しなくなる。
金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。
しかし、勇気を失うことはすべてを失う。
築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。
破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。
何が本当に自分の利益であるか、ということを知ることは容易ではない。
好転する前には、悪化するという段階もあり得る。
悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見いだす。
楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見いだす。
私は楽観主義者だ。
それ以外のものであることは、あまり役に立たないようだ。
愉快なことを理解できない人間に、世の中の深刻な事柄がわかるはずがない。
人生最大の教訓は、愚かな者たちでさえ時には正しいと知ることだ。
重要なポイントを突くときは、如才なくやろうとか巧妙にやろうとか思ってはいけない。
ポイントを一突きせよ。
事前にあわてふためいて、あとは悠然と構えているほうが、事前に悠然と構えていて、事が起こった時にあわてふためくよりも、利口な場合がある。
大切なことは、力のない人の言葉が認められることである。
完全主義では、何もできない。
先を見すぎてはいけない。
運命の糸は一度に一本しかつかめないのだ。
不利は一方の側にだけあるものではない。
私が義務感と信念に基づいて行動している限り、いくら悪口を言われようと何ともない。
害になるよりはむしろ益になるくらいだ。
復讐ほど高価で不毛なものはない。
もしあなたが、過失を擁護する態度をとるだけであれば、進歩の望みはないだろう。
目前にせまった困難や大問題にまともにぶつかること。
そうすればその困難や問題は、思っていたよりずっと小さいことがわかる。
しかし、そこで逃げると、困難は2倍の大きさになってあとで襲ってくる。
勇気がなければ、他のすべての資質は意味をなさない。
世の中で、最もよい組み合わせは力と慈悲、最も悪い組み合わせは弱さと争いである。
偉大さの代償は、責任である。
どんなことでも、大きいことでも、小さいことでも、名誉と良識とが命ずるとき以外は、断じてゆずるな。
力に対し、ことに敵の圧倒的優勢な力に対しては、断固として絶対にゆずってはいけない。
我々の目的は、勝利、この二字であります。
あらゆる犠牲を払い、あらゆる辛苦に耐え、いかに長く苦しい道程であろうとも、戦い抜き勝ち抜くこと、これであります。
過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。
成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である。
勇気とは、起立して声に出すことである。
勇気とはまた、着席して耳を傾けることでもある。
たとえ生死の境にあって、気持ちが極度に張りつめている時でさえも、他人の人生を思いやり、人類を支配する法則とは何であるかを考えてみるとすれば、必ず何らかの報酬が返ってくる。
いらぬ取り越し苦労をするよりも、前もって考えたり計画するほうが大事だ。
回想していると、ある老人の話が思い出される。
その老人は死の床でこう言ったのだ。
生きている間には数々の心配ごとがあったが、その心配が当たったことはほとんどなかった。
行動する事は少しも恐れはしない。
恐れるのは、ただ無為に時を過ごす事だけだ。
世界とは、若者にくどかれ勝ち取られるためにある。
私の業績の中で最も輝かしいことは、妻を説得して私との結婚に同意させたことである。
日々正直に行動することが、成功に達する最も確実な道だ。
誠実でなければ、人を動かすことはできない。
人を感動させるには、自分が心の底から感動しなければならない。
自分が涙を流さなければ、人の涙を誘うことはできない。
自分が信じなければ、人を信じさせることはできない。
孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ。
一度剣を抜いた以上は、息が絶えるまで、勝利を完全に手中に収めるまで剣を捨ててはならぬ。
正直であることは立派なこと。
しかし正しくあることも大事だ。
今は終わりではない。
これは終わりの始まりですらない。
しかしあるいは、始まりの終わりかもしれない。
もしも地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進むがいい。
嘘が世界を半周したころ、真実はまだズボンを履こうとしている。
我々は得ることで生計を立て、与えることで生きがいを作る。
幾度となく過ちを犯すだろう。
だが、寛大で誠実で情熱を持っていれば、世界を傷つけることも深刻に悩ませることもない。
向上とは変化である。
完全になるとは、しばしば変化することである。
私が書くつもりになるくらいだから、歴史は私にとって親切なのだろう。
私たちが勝ったとしても、たいしたことじゃない。
でも、私たちが負けたら、かまってくれる人など誰もいなくなるだろう。
私はいつでも学ぶことをいとわないが、教えられるのをいつも好むわけではない。
私は血と苦労、涙と汗以外に捧げるべきものを持たない。
私は豚が好きだ。
犬は我々を尊敬し、猫は我々を見下す。
しかし、豚は我々を対等に扱ってくれる。
資本主義の欠点は、幸運を不平等に分配してしまうことだ。
社会主義の長所は、不幸を平等に分配することだ。
成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。
肝心なのは、続ける勇気である。
全力を尽くすだけでは十分ではない。
時には必要なことをやらなければ。
態度と言うのはちょっとしたものだが、大きな違いを生み出す。
短い言葉が最高だ。
なおかつ古い言葉なら、まったく申し分ない。
敵がいる?
良いことだ。
それは、人生の中で何かのために立ち上がったことがあるという証だ。
統計とは、街灯の柱と酒を飲むようなもの。
照明というより、支え棒としてのほうが活用されている。
民主主義は最悪の政治形態らしい。
ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
力や知性ではなく、地道な努力こそが能力を解き放つ鍵である。