セーレン・キルケゴール『キェルケゴール』(Søren Kierkegaard)
1813年5月5日〜1855年11月11日(42歳)
デンマーク=ノルウェーのコペンハーゲン出身。
国籍=デンマーク。
哲学者、思想家。実存主義の創始者、またはその先駆けとされる。
名言=「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない。」
『キルケゴール』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発しているキルケゴールさん。
その中でも『キルケゴール』の名言をご紹介していきます。
もしもあなたが私にレッテルをはるなら、それは私の存在を否定することになる。
しばらく二人で黙っているといい。
その沈黙に耐えられる関係かどうか。
人生は、解かれるべき問題ではなく、経験されるべき現実である。
結婚したまえ、君は後悔するだろう。
結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。
臆病の虫に取り付かれると、その人はよきことを行わなくなる。
女は、自分の前を通った婦人の眼が自分を注目したか、否かを直感的に悟る術を心得ている。
女が身を飾るのは、ほかの女たちを意識しているからである。
本来お世辞というものは、女の身にぴったりと当てはまる衣装である。
裏切り者の中で最も危険な裏切り者は何かといえば、すべての人間が己自身の内部に隠しているところのものである。
たまたま私の身に起こることが私を偉大にするのではなく、私の行うことが、私を偉大にする。
女性は実体で、男性は反省である。
ほんとうに黙することのできる者だけが、ほんとうに語ることができ、ほんとうに黙することのできる者だけが、ほんとうに行動することができる。
人生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない。
心の純粋さとは、ひとつのものを望むことである。
孤独とは生命の要求である。
哲学は踏み出す一歩一歩ごとに皮を一枚ずつ脱ぎ捨てるのだが、愚かな弟子どもは、その皮の中へもぐり込んでゆく。
あらゆる人生は反復である。
追憶は後方へ向かって反復されるが、本当の反復は前方に向かって反復される。
皮肉には主観性の資質がある。
精神の闘いでは、独身者のほうが世帯者よりもずっと危険をおかし得る。
すべてか、しからずば無。
絶望とは死にいたる病である。
自己の内なるこの病は、永遠に死ぬことであり、死ぬべくして死ねないことである。
それは死を死ぬことである。
汝が汝自身のごとく隣人を愛するとき、汝はまたその隣人を愛するごとく、汝自身をも愛さねばならない。
人間とは精神である。
精神とは何であるか。
精神とは自己である。
自己とは自分自身に関わる一つの関係である。
行動と情熱がなくなると、その世界は妬みに支配される。
祈りは神を変えず、祈る者を変える。
人間は思想を隠すためでなく、思想を持ってないことを隠すために語ることを覚えた。
私にとって真理であるような真理を発見することが必要なのだ。
しかもその真理は、私がそのために生き、そのために死ねるような真理である。
女というのは泣かせてやらなければならない。
泣きぬくと、泣くべきものがなくなって、あとはすぐに忘れてしまうものなのだ。
忘れるということができない者は、分別のある者にならない。
信念は理屈をも超越する。
愛はすべてを信じ、しかも欺かれない。
愛はすべてを望み、しかも決して滅びない。
愛は自己の利益を求めない。
自分自身を愛することを忘れるな。
私は二つの顔を持つ双面神だ。
一面の顔で笑い、他面の顔で泣く。
人間はなんといっても不合理だ。
人間は自分のもっている自由は決して行使しないで、自分のもっていない自由を要求する。
彼らは思索の自由を持っているが、表現の自由を要求する。
人生の初期において最大の危険は、リスクを犯さないことにある。
自らの挫折の中に信仰を持つ者は、自らの勝利を見出す。
めったに使われない思考の自由の代償として、人々は言論の自由を要求する。
人を誘惑することのできないような者は、人を救うこともできない。
苦難の道は永くもあれば、また暗くもある。
次第に明るくなるような道は別の道である。
その女を手に入れることができない期間だけ、男はその女に熱狂させられる。
女性の本質は献身であるが、その外形は抵抗である。
人は何を愛すかという問題に対して人がなし得る唯一の答えは、人は愛されるにふさわしいものを愛す、ということである。
だまされる者はだまされない者よりも賢く、だます者はだまさない者よりもよい。
罪とは、存在する代わりに創作し、ただ空虚の中でのみ善と真とを問題にし、実在的にはそれであろうと努力しないことである。