徳川家康(とくがわ いえやす)
1543年1月31日〜1616年6月1日(73歳)
三河国岡崎城(現在の愛知県岡崎市康生町)出身。
国籍=日本。
武将、天下人、征夷大将軍。
戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府した。
名言=「人は負けることを知りて、人より勝れり。」
『徳川家康』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発している徳川家康さん。
その中でも『徳川家康』の名言をご紹介していきます。
人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。
急ぐべからず。
勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。
戦いでは強い者が勝つ。
辛抱の強い者が。
多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。
いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。
得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。
及ばざるは過ぎたるより勝れり。
決断は、実のところそんなに難しいことではない。
難しいのはその前の熟慮である。
人は負けることを知りて、人より勝れり。
人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。
七文字で言えば「身のほどを知れ」。
平氏を亡ぼす者は平氏なり。
鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。
己を責めて、人を責むるな。
いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。
天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。
重荷が人をつくるのじゃぞ。
身軽足軽では人は出来ぬ。
一手の大将たる者が、味方の諸人の「ぼんのくぼ(首の後ろのくぼみ)」を見て、敵などに勝てるものではない。
家臣を扱うには禄で縛りつけてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ。
家臣を率いる要点は惚れられることよ。
これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ。
我がために悪しきことは、ひとのためにも悪しきぞ。
人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。
言と形とに迷ふべからず。
最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。
敵だというのも自制心を忘れた怒りである。
われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。
われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を守れり。
われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。
愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。
でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。
大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。
道理において勝たせたいと思う方に勝たすがよし。
願いが正しければ、時至れば必ず成就する。
滅びる原因は、自らの内にある。
不自由を、常と思えば、不足なし。
心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。
人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない。
多くを与えねば働かぬ家臣は役に立たぬ。
また、人間は豊かになりすぎると、結束が弱まり、我説を押し通す者が増えてくる。
大将というものはな、家臣から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。
真らしき嘘はつくとも、嘘らしき真を語るべからず。
怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。
およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。
われ独り出頭して、一人して事を埒あけたがるように致す、これ大なる病なり。
最初に軽い者を遣わして埒があかないからといって、また重い者を遣わせば、初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかはない。
あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。
これが秘伝である。