豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の名言・格言|日本一の出世人

名言・格言集

豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)

1537年3月17日〜1598年9月18日(61歳)

尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)出身。

国籍=日本。

武将、天下人、太閤。

織田信長に仕官して頭角を現し、信長の死後に天下統一を果たした。

名言=「負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。」

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)

『豊臣秀吉』の名言・格言

心の迷いを消してくれる。

数々の名言を連発している豊臣秀吉さん。

その中でも『豊臣秀吉』の名言をご紹介していきます。

戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。

戦は六、七分の勝ちを十分とする。

敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。

主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ。

主人は無理をいうなるものと知れ。

一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる。

この黄金の輝きも
茶の一服に勝るものかな

家康は愚か者だ。
が、油断のならない愚か者だ。

側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。

負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。
逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。

いつも前に出ることがよい。
そして戦のときでも先駆けるのだ。

猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ。

世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う。

いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない。
彼らは早く死んでよかったのだ。
生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう。

信長公は勇将であるが良将ではない。
剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。
ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。
だから降伏する者をも誅殺した。
これは人物器量が狭いためである。
人には敬遠され、衆から愛されることはない。

およそ主人たるもの、1年使ひ見て、役に立たぬときは暇を遣はし、家来としては、三年勤めて悪ししと知らば、暇をとること、法なり。

財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ。

人と物争うべからず、人に心を許すべからず。

女狂いに好き候事、秀吉真似これあるまじき事

降参した者を殺してはいけません。

やるべき事が明確であるからこそ、日夜、寝食忘れて没頭できる。

何事もつくづくと思い出すべきではない。

ひそかにわが身の目付に頼みおき、時々異見を承わり、わが身の善悪を聞きて、万事に心を付けること、将たる者、第一の要務なり。

人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない。

それは上々、一段の吉日にござる。
信長公のために討ち死にするは覚悟のうえ、二度と生きて帰ろうとは思わぬ。
さてまた光秀の天命が尽きれば、大利を得て、思いのままに国をもらい、この播磨の城に帰ることはない。

どこへ逃げたって、日本全国は俺の庭だ。
気にするな。

返す返す秀頼のこと
頼み申し候
五人の衆
頼み申し候
頼み申し候

露と落ち
露と消えにし
我が身かな
浪速のことは
夢のまた夢

※ 辞世の句

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