長嶋茂雄(ナガシマ シゲオ)
愛称=「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」「ミスター」など
1936年2月20日生まれ、千葉県出身。
元プロ野球選手・監督。
- 1958年に読売ジャイアンツに入団。通算成績は、安打2471・本塁打444・打点1522・打率.305。
- 1974年に現役引退試合を行い、「我が巨人軍は永久に不滅です」という球史に残る名言を残した。
- 翌年より読売ジャイアンツの監督に就任し、チームを2度日本一に導く。“ミスター”の愛称で親しまれ、ジャイアンツファンだけでなく多くのファンから親しまれた。
- 2001年に同チームの終身名誉監督となり、現在もその人柄から国民的な人気を得ている。
長嶋茂雄の名言
やる気が溢れ出る。
数々の名言を連発している長嶋茂雄さん。
その中でも心に残る言葉をご紹介していきます。
なぜ逃げるのか。
打たれて命を取られるのか。
打たれたからって命を取られるわけないんだ。
逃げるな。
デビュー開幕戦でも4連続三振。
監督としても最初は最下位。
あとはよくなるばかりだと思うしかなかった。
ウサギとカメならカメでいい。
我慢する勇気が重要なんです。
挫折してもプライドは失わない、それは努力しているからだ。
グランドに出たなら、先輩後輩の序列はないんだ。
スランプなんて気の迷い。
ふだんやるべきことを精一杯やって、土台さえしっかりしていれば、スランプなんてありえない。
ぼくはいつも、「オレは絶対打てる」という気持ちでボックスに立っていますよ。
なにか一つのことに脇目も振らずに打ち込める時期を持てる人は幸せかもしれない。
今の若い人達はのめりこめるものを見失っている。
不幸な時代だとは思うけども、時代のせいにするのはどうかな。
雨を喜び、風を楽しみ。
口惜しかったさ、そりゃもう。
でも、あれほどいい三振もなかった。
あれほど生きた三振というのもなかった。
チームコンダクターっていうのはね、いつも顔色をよくしとかんといかんのですよ。
コンダクターが暗い顔でいたんじゃ仕様がない。
体調をよくして、いつも元気いっぱいなところを見せないと選手はついてこないし、チームも元気がなくなるもんです。
いつもずっと思っていることは、現実になっていきます。
よいことを常に思っていましょう。
小さなボールと一本のバットには運命と人生がつまっている。
プロなら陰の苦労や苦悩を人前でみせるべきでない。
努力してますと練習を売り物にする選手は、プロフェッショナルといえない。
野球選手には人間関係で悩む暇などない。
すべてはバットを振り、ボールを追いかけることで解決すべきなのだ。
絶対に負けちゃいけない日、私はベンチで異常になる。
魂を込めて打てば、野手の正面をついたゴロでもイレギュラーする。
結果が悪ければ天もファンも見限る。
それが監督業。
負けるのは監督が悪い。
長嶋茂雄であり続けることは、結構苦労するんですよ。
努力は人が見てないところでするものだ。
努力を積み重ねると人に見えるほどの結果がでる。
ショービジネスとしてね、見せる一つの商売からいきましてね、同じ負けでも全くいい負け方であったというイメージを持って、ファンに家路についてほしい。
スターというのはみんなの期待に応える存在。
でもスーパースターの条件は、その期待を超えること。
野球というスポーツは人生そのものです。
少なくとも、セオリー通りの安全な道ばかり歩いていては、生きがいなんか生まれませんよ。
ときには冒険も必要です。
周囲の批判を恐れず、「俺はできるんだ」とやり抜く
– それが男のロマンでしょう。
英語で「サムシング」といいますね、「何か」。
そのサムシングをつかむのは、理論でもトークでもない。
やっぱり心と心のぶつかり合いですよね。
僕は三塁のホットコーナーを守ってやってきた。
三塁ベースは僕の恋人です。
それが守れなくなったら潔く引退します。
小さな白い球との長い戦いが終わったことを知りました。
「あしたはきっと良いことがある」。
その日、ベストを出しきって駄目だったとしても、僕はそう信じ、ただ夢中でバットを振ってきました。
悔いはありません。
若いプレイヤーが昔のように心から感動したり、感動しきれない。
それは、やはり時代でしょう。
だけど感動を知らない人生というのは、何か生きている味わいみたいなものがないわけです。
感動はスポーツばかりじゃありません。
あらゆるジャンルにある。
何かに感動しながら日々新たな気持ちで挑戦して行く。
これこそ生きる上での一番の王道と言えるのではないでしょうか。
来た球を打て!