パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1881年10月25日〜1973年4月8日(91歳)
マラガ出身。
国籍=スペイン。
画家。
作風がめまぐるしく変化した画家であり、最も多作な美術家であった。
名言=「私は捜し求めない。見出すのだ。」
『パブロ・ピカソ』の名言・格言
心の迷いを消してくれる。
数々の名言を連発しているパブロ・ピカソさん。
その中でも『パブロ・ピカソ』の名言をご紹介していきます。
私は捜し求めない。
見出すのだ。
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む。
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ。
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。
これは我々の時代にはびこる病気だ。
できると思えばできる、できないと思えばできない。
これは、ゆるぎない絶対的な法則である。
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ。
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ。
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ。
誰もが芸術を理解しようとする。
ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。
なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ。
子供は誰でも芸術家だ。
問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。
女の顔はキャンバスだ。
毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている。
すべては奇跡だ。
例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって。
コンピューターなんて役に立たない。
だって、答を出すだけなんだから。
いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。
冒険こそが、わたしの存在理由である。
ひらめきは、自分で呼び込めるものではない。
わたしにできるのは、ひらめきを形にすることだけだ。
芸術は悲しみと苦しみから生まれる。
わたしは立ち止まりはしない。
芸術は日々の生活のほこりを、魂から洗い流してくれる。
私はいつも自分のできないことをしている。
そうすればそのやり方を学べるからだ。
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。
仕事は人間に必要だ。
だから人は目覚まし時計を発明した。
昔、母は私にこう言った。
お前が軍人になれば、将軍となるでしょう。
修道士になれば、法王となるでしょう。
そして私は画家となり、ピカソとなった。
芸術とはわれわれに真理を悟らせてくれる嘘である。
芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。
敵との闘争における武器なのだ。
芸術家を何とお思いか。
画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。
それはとんでもない勘違い。
芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている。
画家は、労働者が働くように勉強しなければならない。
私の創造の源泉は、私が愛する人々である。
他人を模写するのは必要なことである。
しかし、自分を模写するのは哀れなものだ。
自分には過去も未来もない。
ただ現在に生きようが為に絵を描くのである。
想像できることは、すべて現実なのだ。
今は、もう感動はない。
だから、感想が湧くのである。
感動には、叫びはあるだろうが、言葉はない。
絵を描くのは美的活動ではない。
この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる。
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない。
芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである。
「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」
「なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ」
すべてのものは、かぎられた量しかない。
とくに幸福は。
太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる。
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。
アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ。
私は大金を持った貧乏人のように暮らしたい。
わたしの健康を祝して乾杯してくれ!
ようやく子どものような絵が描けるようになった。
ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ。
若くなるには、時間がかかる。