西郷隆盛(さいごう たかもり)の名言・格言|維新の三傑の一人

名言・格言集

西郷隆盛(さいごう たかもり)

1828年1月23日〜1877年9月24日(49歳)

薩摩国鹿児島郡加治屋町(現在の鹿児島県鹿児島市加治屋町)出身。

国籍=日本。

武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。

大久保利通、木戸孝允らとともに維新の三傑と称される。

名言=「過去の功績のご褒美として役職につけるのは、善くないことの第一である。功績のある人には俸給をあたえて賞し、役職はそれにふさわしい人物にあたえよ。」

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『西郷隆盛』の名言・格言

心の迷いを消してくれる。

数々の名言を連発している西郷隆盛さん。

その中でも『西郷隆盛』の名言をご紹介していきます。

もうここらでよか

命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬというような人物は処理に困るものである。
このような手に負えない人物でなければ、困難を共にして、国家の大業を成し遂げることはできない。
しかし、このような人物は普通の人の眼では見抜くことができぬと言われるので、それでは孟子が「仁という広い家に住み、礼という正しい位置に立ち、義という大道を歩む。もし、志を得て用いられたら民と共にその道を行い、志を得ないで用いられなければ、独りでその道を実践する。そういう人は、どんな富や身分もこれを汚すことはできないし、貧しく身分が低いことによって心がくじけることもない。力をもってもこれを屈服させることはできない」と言っていますが、このような人物がいま仰せられたような人物のことでしょうかと尋ねると、その通りだ、真に道を行う人でなければ、そのような姿にはならないものだと答えられた。

策略は日常的にすることではない。
はかりごとをめぐらしてやったことは、あとから見ると善くないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。
ただ戦争において策略は必要なことであるが、日常的にはかりごとをやっていると、いざ戦いということになったとき、同じことはできないだろう。
蜀漢の丞相であった諸葛孔明は、日頃策略を用いなかったから、戦いのときに思いもよらないはかりごとを行うことができたのだ。
私はかつて東京を引き揚げたとき、弟(従道)に対して、私はこれまで少しもはかりごとをやったことがないから、跡は少しも濁ることはないだろう。
それだけはよく見ておくようにと言いおいたことがある。

正しい道を踏み、国とともに倒れてもよいというほどの精神がなければ、外国との交際を成し遂げることはできない。
外国の強大なことに恐れをなし縮こまり、ただ円満に事を収めることを主として、自国の真意を曲げてまで、その国のいいなりになるのなら、軽蔑や侮りを受け、親しい交わりがかえって破れ、しまいにはその国に制圧されるに至るであろう。

過去の功績のご褒美として役職につけるのは、善くないことの第一である。
功績のある人には俸給をあたえて賞し、役職はそれにふさわしい人物にあたえよ。

賢人がすべての役人を統轄し、政権が一つの方針に進み、国の体制が一つにまとまらなければ、たとえ有能な人物を登用し、自由に進言できるようにして、多くの人の考えを取り入れるにしても、どれを取捨するのか一定の方針がなくては、行うことは雑でまとまりがなく、とても成功どころではない。
昨日出された政府の命令が、今日には変更になるというようなことも、統轄するところが一つでなく、政治の方針が決まっていないからである。

政治で特に大切なことは、教育文化を盛んにし、軍備を充実させ、農業を奨励するという三つである。
その他のさまざまな事柄は、すべてこの三つのものを実現するための手段である。
この三つのなかで、時勢によって優先順位が変わることもあろうが、この三つのものを後回しにして、それ以外のことを先にするということは、決してあってはならないことだ。

国民の上に立つ者は、いつも心を慎み、普段の行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、つつましくすることに努め、仕事に励んで人々の手本となり、国民がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいでなければ、政府の命令は行われにくい。
しかし今、維新創業の大事なときだというのに、家を贅沢にし、衣服をきらびやかにし、美しい妾を囲い、金を蓄えることを考えているならば、維新の理想を達成することはできないであろう。
今となっては、戊辰の正義の戦いも、ただ私利私欲を満たすための戦いとなり、世の中の人々に対し、また戦死者に対して面目ないことであると言って、西郷先生は涙を流された。

何度も何度もつらく苦しい経験をしてこそ、人の志は初めて堅くなるのだ。
真の男は玉となって砕けることを本懐とし、志を曲げて瓦となって生き長らえることを恥とせよ。
我が家の遺訓。
それは子孫のために良い田を買わない、すなわち財産を残さないということだ。

過ちを改めるには、自分が間違いを犯したと自覚すれば、それでよい。
そのことをさっぱり思いすてて、ただちに一歩を踏み出すことが大事である。
過ちを犯したことを悔やんで、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶碗を割って、そのかけらを集めて合わせてみるようなもので、何の役にも立たぬことである。

大きなことでも、小さなことでも、道理にかなった正道を踏み、真心を尽くし、決して策略を用いてはならない。

広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化をめざして進もうと思うならば、まず我が国の本体をよくわきまえ、道徳心を高めることに努め、そのうえで、徐々に外国の長所を取り入れるべきである。
ただみだりに模倣すると、国体は衰え、徳も廃れて、救いようがなくなってしまい、結局は外国の支配を受けるようなってしまうのである。

主君への忠義と親への孝行、他人にめぐみいつくしむという徳目の実践を促すことこそ、政治の基本である。
これは、未来永劫、世界のどこにおいても、不変かつ大事な道である。

人間の知恵を開発するということは、愛国の心、忠孝の心を開くことなのだ。
国に尽くし、家のために勤めるという道が明らかであれば、すべての事業は前進するであろう。
耳で聞いたり、目で見たりする分野を開発しようとして、電信を架け、鉄道を敷き、蒸気機関車を造る。
こうして人の注目を集めても、どういうわけで電信、鉄道が必要なのかを考えもしないで、みだりに外国の盛大なことをうらやむ。
利害得失を議論することなく、家屋の作り方からオモチャに至るまで一々外国の真似をし、贅沢の風潮を助長する。
財産を浪費するならば、国力は衰え、人の心は浅はかで軽々しくなり、結局日本は破綻するよりほかないであろう。

文明というのは、道理にかなったことが広く行われることを褒め称えていう言葉であって、宮殿が荘厳であるとか、衣服がきらびやかだとかといった、外観の華やかさをいうものではない。
もし西洋が本当に文明の国ならば、未開の国に対しては、慈愛の心をもって接し、懇々と説きさとし、文明開化に導くはずであろう。
ところが、そうではなく、未開蒙昧の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分たちの利益のみをはかるのは明らかに野蛮である。

人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であるから、学問の道は敬天愛人(天を敬い人を愛する)を目的とし、自分の修養には、つねに己れに克つことを心がけねばならない。
己れに克つための極意は、論語にある「意なし、必なし、固なし、我なし」(主観だけで判断しない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。
総じて人は自分に克つことによって成功し、自分を愛することによって失敗するものだ。
歴史上の人物をみるがよい。
事業を始める人が、その事業の七、八割まではうまくやるのであるが、残りの二、三割を終りまで成し遂げる人の少ないのは、はじめはよく己れを慎んで、事を慎重にするから成功もし、名も世に知られるようになる。
しかし、成功して名も知られるようになると、いつの間にか自分を愛する心が起こり、恐れ慎むという心が緩み、驕り高ぶる気持ちが多くなり、成功したことを自惚れて、何でもできるという過信のもとに、出来の悪い仕事をしてついに失敗する。
これはすべて自ら招いた結果である。
だから、自分にうち克って、人が見ていないときも聞いていないときも、慎み戒めることが大切なのだ。

西洋の刑法は、もっぱら戒めることを目的とし、むごい扱いを避け、善良に導くことに心を注ぐことが深い。
だから獄中の罪人であっても、緩やかに取り扱い、教戒となるような書籍を与え、場合によっては親族や友人の面会も許すということだ。
西洋のこのような点は誠に文明だと感じるものだ。

税を軽くして国民生活を豊かにすれば、国力を養うことになる。
だから国が多くの課題を抱え、財政の不足で苦しくなったとしても、税の定まった制度をしっかり守り、政府や上層階級が損を我慢して、下層階級の人々を苦しめてはならない。

会計出納はすべての制度の基礎である。
国家事業はこれによって成り立ち、国家運営の最も重要なことであるから、慎重にしなければならない。
そのあらましを申すならば、収入をはかって支出をおさえるという以外に手段はない。
年間の収入によってすべての計画を定め、会計を管理する者が一身をかけて定まりを守り、予算を超過させてはならない。
そうでなくして時勢にまかせ、制限を緩慢にし、支出に合わせて収入をはかるなら、結局国民に重税を課するほか手はなくなるであろう。
もしそうなれば、一時的に事業は進んだように見えても、国力は疲弊して救い難いことになるだろう。

常備する兵数についても、会計の制限の中で対処すべきで、虚勢を張ってむやみに兵隊を増やすことなど決してしてはいけない。
兵士の心を奮い立たせて、すぐれた軍隊をつくりあげれば、たとえ兵の数は少なくても、外国との折衝は堂々として、あなどりを受けるようなことはないであろう。

節操を貫き、道義を重んじ、心清らかで恥を知る心を持つ。
これを失うようなことがあれば、決して国家を維持することはできない。
上に立つ者が下の者に対して自分の利益を争い求め、正しい道を忘れるとき、下の者もみなこれにならい、人の心は財欲にはしり、日に日に卑しく、節義廉恥の志を失い、親子兄弟の間ですら財産を争い互いに敵視するようになるのだ。
このようになったら何をもって国を維持することができようか。
徳川氏は将兵の勇猛な心を抑えて世を治めたが、今の時代は昔の戦国時代の勇将よりもっと勇猛な心を奮い起さなければ、世界のあらゆる国々と対峙することはできないのだ。
普仏戦争の際、フランスが三十万の兵と三ケ月の食糧を残して降伏したのは、あまりにそろばん勘定にくわしかったがためである。

国が辱めを受けるようなことがあったら、たとえ国が倒れようとも、正道を踏んで道義を尽くすのが政府本来の仕事である。
戦の一字を恐れ、政府本来の使命を果たさないのなら、商法支配所といった商いの元締めというようなもので、もはや政府ではなくなってしまうだろう。

昔から、主君と臣下が共に自分は完全だと思っているような世に、よい政治が行われたという例はない。
自分は完全な人間ではないと考えるからこそ、下々の言葉も聞き入れることができる。
自分が完全だと思っているとき、人からその非を指摘されるとすぐに怒るから、賢人や君子も、そのような人を助けようとはしないのである。

どんなに制度や方法を論議しても、その適任者がいなければうまく行われない。
その人あって初めてその方法が行われるのだから、人こそが第一の宝であって、自らがそういう立派な人物になろうとする心がけが大事なのだ。

自分に克つには、あらゆる事柄を前にして、はじめて自分に克とうとしても、そうやすやすとはできないものだ。
ふだんからその心がけを持って、自分に克てるようにしておかなければならない。

学問を志す者は、広く学ぶという心がけが必要である。
しかし、ただそのことのみに偏ってしまうと、身を修めることがおろそかになっていくから、常に自分に克ち、身を修めることが大事である。
広く学び、同時に自分に克ち、男というものは、どんな人でも受け入れるくらいの度量が必要で、人から呑まれてしまってはいけない。
古語にも次のようにあろう。
物事を成そうとの意気込みを広く持つ者にとって、もっとも憂えるべきことは自分のことをのみはかり、けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本として、自分からそうなろうと修業をしないことだ。
では、その古人を目標にするというのはどういうことですかと教えを請うと、徳をもって天下を治めた尭・舜(中国古代の伝説上の帝王)を理想とし、孔子を教師とすることだと答えられた。

人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であり、人はこれにのっとって実践すべきものであるから、何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。
天は他人も自分も区別なく愛されるものであるから、自分を愛する心をもって他人をも愛することが肝要である。

人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、自分の誠を尽くし、人を咎めたりせず、自分の真心が不足していることを認識すべきなのだ。

自分を愛する(甘やかす)ことは、最もよくないことである。
修業ができないのも、ことが成就できないのも、過ちを改めることができないのも、自分の功績を誇って驕り高ぶるのも、みな自分を愛することから生ずることであり、決して自分を甘やかす心を持ってはならない。

人材を採用するとき、君子(徳行の備わった人)と小人(徳のない人)との区別を厳格にし過ぎると、かえって害を引き起こすものである。
というのは、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の長所をとり入れ、これを下役に用い、その力を発揮させるのがよい。

人が踏み行うべき道を実践するのに、身分が尊いか卑しかなどといったことはまったく関係がないことだ。
昔、尭・舜(中国古代の伝説上の帝王)は国王として政治の一切を行っていたが、二人の本質というのは、正しい道を人々に教える教師である。
孔子は魯の国をはじめどこの国にも用いられず、何度も困難な苦しい目に遭い、身分の低いままに生涯を終えたが、三千人の子弟は、みな教えられた道を実践したのである。

人が踏み行うべき道を実践する者には、困難な苦しいことはつきものであるから、どんな難しい場面に立っても、そのことがうまくいくかどうか、その身が生きるか死ぬかといったことなどどうでもいいことなのだ。
物事をなすには上手下手があり、物によってはよくできる人、あまりできない人もある。
そのことに動揺する人もあろうが、天の道を実践するという点では上手下手もなく、できないという人もないものなのだ。
だから、ひたすら道を行い、道を楽しみ、もし困難に遭い、それを乗り切ろうと思うならば、ますますその道を実践し楽しむという心を持つがいい。
私は若い時から、困難という困難に遭って来たので、今はどのようなことに出会っても動揺することはない。
それだけは幸せである。

人が踏み行うべき道を実践する者が、世間の人がこぞってそしっても決して不満をいわず、世間の人がこぞってほめても自分に満足しないのは、信念が厚いからである。
そのような人物になるには、唐の韓愈の書いた「伯夷頌」(忠義の士、伯夷・叔斉兄弟をほめ称えたもの)を熟読してしっかり身につけるべきである。

人が踏み行うべき道を実践しようとする者は、偉業を尊ばないものである。
北宋の司馬温公(司馬光)は、寝床で語る言葉さえ、人にいえないようなことはないといわれた。
独りを慎むということの真意はいかなるものであるかわかるであろう。
人の意表をつくようなことをして、一時的にいい気分に浸るのは、未熟者のすることで、戒めなければならないことだ。

普段から踏み行うべき道の実践を心がけていない人は、大事に直面すると狼狽し、正しく対処できないものだ。
たとえば、近所で火事が発生したとき、普段から心構えのできている者は動揺することなく、てきぱきとこれに対処することができる。
しかし、普段から心構えのできていない者は、ただ狼狽して、うまく処理することなどできない。
それと同じことで、普段から道の実践を心がけている人でなければ、大事に直面したとき、すぐれた対策はできない。
私は先年の戦い(戊辰戦争)の出陣の日、兵士に向かって自軍の備えが十分であるかどうか、ただ味方の目で見るのではなく、敵の心になって一つ突いて見よ、それこそ第一の備えであると指示したことがある。

人を言いくるめて、陰でこそこそ事を企てる者は、たとえそれがうまくいったとしても、物事を見抜く力のある者から見れば、醜いことこの上もない。
人に提言するときは、公平かつ誠実でなければならない。
公平でなければ、すぐれた人の心をつかむことはできないものだ。

聖人や賢人になろうとする志がなく、昔の人が行った史実をみて、とてもこのようなことは自分にはできないというような心であったら、戦いを前に逃げるよりも、はるかに卑怯なことだ。
朱子(南宋の儒学者)も抜き身の刀を見て逃げる者はどうしようもないといわれた。
真心をもって聖人・賢人の書を読み、その行いの根底にある精神を、自分の心身で体験するような修業をしないで、ただ成人・賢人の言葉や行いを知ったところで何の役にも立たない。
私は今、人のいうことを聞くに、いかにもっともらしく論じても、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけのことであるならば、少しも感心しない。
実際に行動する人を見ると、実に立派だと感じるのである。
聖人・賢人の書をむなしく知識として読むのであったら、たとえば人の剣術を傍観しているのと同じで、少しも身につかない。
身につかなければ、万一立ち合えと言われたら、逃げるよりほかないであろう。

この世の中で後の世でも信じ仰がれ、喜んで従おうとするものは、ただ一つ誠の心だけである。
昔から父の仇を討った人はたくさんいるが、その中でひとり曾我兄弟だけが、今になっても子どもや女性にいたるまで、知らないものがいないのは、多くの人にぬきんでて誠の心が厚いからである。
誠の心がないのに世間の人から誉められるのは偶然の幸運に過ぎない。
誠の心が厚ければ、たとえその当時に知る人がなくても、後の世に必ず理解してくれる人があらわれるものだ。

世間の人がいう機会とは、たいてい思いがけずに得た幸運のことを指している。
しかし、真の機会というのは道理に適い、時の勢いを正しく把握して行動する場合のことだ。
かねて天下国家を憂える真心が厚くないのに、ただ時の弾みに乗って成功した事業は、決して長続きはしないものだ。

今の人は、才能や知識があれば、事業というのは思いのままにできると思っているが、才能にまかせて行うことは、危なっかしくて見ておられない。
しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。
肥後の長岡先生(熊本藩家老の長岡監物)のような君子は、今は似ている人ですら見ることができなくなった、と嘆かれて次の古語を書いて与えられた。
天下は、誠にあらざれば動かず、才にあらざれば治まらず。
誠の至る者その動くや早し。
才のあまねき者その治むるや広し。
才と誠と合して、しかる後事なるべし。

西郷先生に従って、犬を走らせて兎を追い、山谷をめぐり歩いて終日狩りをして過ごし、一軒の農家に宿を借り、風呂から上がって、爽快きわまりないといったご様子で、ゆったりと、君子の心はつねにこのようにさわやかなものであろうと思う、と言われた。

自分の身を慎み、心を正して、君子の体を備えていても、事にあたって、正しく対処できない人は、木の人形と同じだ。
たとえば、突然数十人の来客があった場合、どんなにもてなしたいと思っても、前もって器具や調度の備えをしていなければ、ただおろおろと心配するだけで、もてなすことなどできはしない。
つねに備えをしておくなら、何人であろうとも、数に応じてもてなすことができよう。
だから、普段の準備が大事なのだといって次の古語を書いてくださった。
文は鉛と板のことをいうのではない。
必ず事を処する才がある。
武は剣と楯のことをいうのではない。
必ず敵をはかる智がある。
才智のあるところは一箇所のみなのだ。

物事に取り組む際、自分の思慮の浅さを心配することはない。
およそ思慮というものは、黙って座り、静かに思いをめぐらしているときにすべきことである。
そのようにすれば、有事のときには、十のうち八、九は実行されるものだ。
事件に遭遇して、はじめて考えてみても、それは寝ているときに夢の中で奇策やすばらしい思いつきを得たとしても、朝起きたときには、役に立たない妄想のたぐいが多いのと同じである。

漢学を勉強した者は、ますます漢書から道を学ぶのがよい。
人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であるから、東洋・西洋の区別はないのである。
もしも現在の万国対峙の形勢について知りたいと思うならば、漢書の「春秋左氏伝」を熟読し、さらに「孫子」で補えばよい。
当時の形勢も今の情勢とほとんど大差ないだろう。

急速は事を破り、寧耐は事を成す。

※ 寧耐(ねいたい)とは、心静かに落ちつきはらって、迫りくる困難や苦痛に耐えるこ

思い切ってやりなさい。
責任は私がとる。

世の中で、人からそしられたり誉められたりするといったことは、塵のように儚く消え去ってしまうものである。

小人は己を利せんと欲し、君子は民を利せんと欲す。
己を利する者は私、民を利する者は公なり。
公なる者は栄え、私なる者は亡ぶ。

徳に勤むる者は、これを求めずして、財自から生ず。

正論では革命をおこせない。
革命をおこすものは僻論である。

※ 僻論(へきろん)とは、偏っていて道理に合わない論のこと

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